歌舞伎町のど真ん中。贅沢な時を過ごせた映画館
2024年09月26日
【思い出の映画館】シネマスクエアとうきゅう(東京都)
【住所】東京都新宿区歌舞伎町1-29-1 シネシティTOKYU MILANOビル
【座席】224席
※2014年12月31日をもちまして閉館いたしました
「シネマスクエアとうきゅう」客層はオープン当初から女性が中心で7割から8割程。中にはオープン当時から通われている固定ファンも多く年齢層も20代から年配まで幅広い。「常にお客様の心に残る一本」を基本コンセプトとして映画をセレクトしているため、自然に「シネマスクエアとうきゅうらしい作品」を提供することに成功している。観客が求めている時代の色をキャッチして劇場担当者自身が愛せる上映作品を見つけてきたからこそ根強いファンがいるのだろう。こうした姿勢はサービスにも反映されており、バリアフリーの考えを早い段階から取り入れた。エントランスにはスロープが付けられ車椅子の方でも安心して入場でき、またトイレや場内に車椅子専用のスペースが設けられたのも早かった。ガラスの扉より入場すると目の前にシックな木目調の扉がある。余計な装飾を一切排除した落ち着いたロビーはシンプルで、余計な装飾を排除した映画を観るためだけの空間だ。開場までの待ち時間は一番奥にあるソファでくつろぐ。
上映は情報量がたっぷりと盛り込まれた「Cinema Square Magazine」というB5変形サイズの小型パンフレットを開きながら待つ。館名と同じ正方形(スクエア)サイズとなったパンフレットは掲載されている写真の点数も豊富で、読むというよりも眺めるタイプのパンフレットとなった。休憩時間も終わり整理券順に入場する。お気に入りの席は最前列の真ん中。場内は縦に長い作りになっておりデザインの色調もブラウンとベージュで統一。シートは業界関係者からも「日本一の椅子を持つ映画館」と定評があるフランスのキネット社より直輸入された椅子。座面が広いので最前列で足を思いっ切り投げ出して観るのが好きだった。キネット社は今でこそミニシアターの定番となっているが、当時は「椅子にお金を掛けている」ことが珍しく貧乏性の私は充分満喫させていただいた。椅子は適度に傾斜が付いており、深々と腰掛けるとあまりの座り心地の良さに静かな映画ではついウトウトすることも…。それが仇となって、お客様から「椅子のせいで眠ってしまった」とクレームがついたこともあったそうだ。
今回で長い間コーナーを任せていただいた「岐阜新聞映画部」が終了となります。「港町キネマ通り」だけではお伝えしきれなかった「街の中にある映画館」の情景を出来るだけお伝えしたつもりです。まだまだこれからも全国の映画館を巡って自分のサイトで紹介しますので皆さんも映画館で生涯の一本を見つけてください。6年以上もの間、お付き合いいただきありがとうございました。
出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2002年1月(2024年9月加筆)
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
日本でミニシアター文化を根付かせたのは、新宿歌舞伎町にあった「シネマスクエアとうきゅう」だった。まだミニシアターというシステムが確立されていなかった1981年12月にアート・ガーファンクル主演の『ジェラシー』でオープン。当時はまだ札幌の高校に通う学生だった私は、小型のパンフレットに印刷されていた館名だけを先行して知っていた。だから大学で上京した時に真っ先に訪れたのが「岩波ホール」と「シネマスクエアとうきゅう」だった。当時のロードショー館は観客は出来るだけ詰め込んで座席が無ければ通路に新聞紙や雑誌を敷いて座らせたり、壁際では壁に寄りかかって正に立って観ていた。だから、初日でどんなに観客が来場しても座席分しか当日券は売らないという定員入替制に驚かされた。何より映画が始まっているのに無理やり入ってくる途中入場不可だったり場内で飲食禁止という無作法者を排除したルールが嬉しかった。
上映作品としてはメジャー系の枠に乗ることが出来ない小品ながらも良質の作品を中心にプログラムを組んでおり、わざわざ北海道や九州から来場される映画ファンもいた。映画マニア向けの難解な作品ばかりではなく国籍やジャンルにこだわらない作品を送り続け、まだ日本で馴染みの無かったヴェルナー・ヘルツォークやカルロス・サウラ、パトリス・ルコントといった監督の作品を発掘していた。観客も今までのようなハリウッド映画とは異なる『仕立て屋の恋』『薔薇の名前』『カルメン』に反応してロングラン上映記録を出した、ベトナム映画の『青いパパイヤの香り』や日本映画の大『さらば愛しき大地』がヒットするなど、ジャンル・国籍に固執しない映画館の姿勢が多くの観客に受け入れられた。私としては個人的に思い入れが深いのは、ホ・ジノ監督『八月のクリスマス』を公開してくれたことだ。『シュリ』や『冬のソナタ』以前に、素晴らしい韓国映画を紹介してくれたことに今も感謝している・ちなみに劇中に流れるチョ・ソンウの音楽が美しく終映後にサントラ盤CDを購入して今もたまに聴いている。