岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

かつての映画青年たちが集まって立ち上げた映画館

2023年10月11日

シネマハウス大塚(東京都)

【住所】東京都豊島区巣鴨4-7-4-101
【電話】03-5972-4130
【座席】56席(可動式)

東京の山手線にある大塚駅は、都内屈指の歓楽街として、まだ明るいうちから古い雑居ビルに入る風俗店のネオンが瞬いている。古くは江戸時代に旧中山道を行く旅人たちの最後の遊び場だったというから筋金入りだ。そこから都電荒川線沿いにぶらぶら歩くと…駅前のイメージからかけ離れた今も昭和の風情が残る商店街があった。メイン通りから一本入った折戸通りには、古い食堂や隠れ家的な居酒屋が立ち並んでいる。まだ都内にこんな場所があったとは。朝8時半からやっている「わたや」という喫茶店を見つけた。トーストと朝粥が選べる朝食があったので迷わず入った。昼時には、しょうが焼きや鮭のカマ焼きといった定食やかき揚げ丼も提供してくれる食堂でもある。朝でも注文があれば、鮭の焼物とかビールも出してくれるのが大塚らしい。そこからもう少し先に行ったところに2018年4月7日にオープンした多目的シアター「シネマハウス大塚」がある。

可動式のパイプ椅子が56席ほど並ぶ小さなホールは、作品を観せたい人と観たい人に自由な表現や発言の場を提供しよう…という思いから生まれた。立ち上げたのは、文京区にある都立竹早高校の自主映画製作サークル「グループ・ポジポジ」のメンバーだ。ベトナム戦争が泥沼化していた時代に映画や演劇で自らの思いを表現した高校時代の彼らは、学校職員の不正に対して猛抗議を行い、熱い思いを抱きながらひたすら8mmで映画を撮り続けた。そんな若者たちを描いた映画がある。大島渚監督の独立プロ「創造社」で製作した『東京戦争戦後秘話』(1970年)だ。国家権力に対する憤りを映画製作運動という形で表現していた青年を描いた本作に出演していたのが「グループ・ポジポジ」だった。映画祭で彼らの作品を観た大島監督が出演をオファーしたのだ。そして主人公の青年を演じたのが「シネマハウス大塚」の館長を務める後藤和夫さんである。

「シネマハウス大塚」創設のキッカケは新年会で集まった時に誰ともなく発した「何か面白いことやりたいね」というひと言だった。「僕らも50歳を過ぎて少しずつ時間が出来たので、だったら映画館なんてイイんじゃないか?って盛り上がったんです」高校時代に学生運動と演劇と映画製作の日々を送ってきた気心の知れた仲間だから話もトントン拍子に進んだ。今の時代は政治や社会に疑問を投げかける人たちがその不満を表現出来る場所が少ない。誰でも簡単に映像が撮れる時代なのに、それを発表出来る場所が無いのだ。そういう要求に応えられる場所として誕生した「シネマハウス大塚」のコンセプトは「どうぞ自由を使って下さい」である。

元々この場所は普通の事務所で映画館を想定した仕様になっていないため、映写室を作るスペースをが無かったのだが、そんな課題を解決してくれたのがソニーの短焦点4Kプロジェクターだった。スクリーンの真下からほぼ垂直に映像を投影出来る技術のおかげで、映写室が無くてもキレイな映像が得られたのだ。こうした設備については撮影監督の山崎裕さんが監修を行い最高の環境が整った。イベントによってはパイプ椅子を円陣を組んでライブを行うなど自在に対応されている。トークイベントは定期的に開催されており、森達也監督や崔洋一監督といった映画人たちが日替わりで登場したり、後藤さんの大親友でもあり映画制作仲間だった故・篠田昇撮影監督の十五回忌には『四月物語』など岩井俊二監督作品を中心に関わりの深かったゲストを招いて上映会が行われた。勿論、持ち込みの企画も大歓迎で、4時間の使用料1万8千円(平日)から…という手頃な料金設定とされている。「地域の結びつきと作り手の自由な表現から新しい風を吹かせたい」という観点から、多くの人に利用してもらいたいという。今までも映画に限らず、シンポジウムやコンサート、サークル活動の他に町内会の集まりにも使用されているそうだ。

自由な表現を発表できる場として、大塚を選んだのはここが「グループ・ポジポジ」の原点だったから。青春時代を文京区で過ごした後藤さんに酒や麻雀といった遊びを教えてくれたのが大塚周辺だった。「だから馴染みの深い僕たちにとって、ここで映画館をやることは、戻って来た…という感じです。自分たちにとって思い入れのある場所だから、大塚の人と共存したい。今はそれをどういう形でやれば良いのかを考えているところです」後藤さんの夢は、ここがパリのシネマテークのように監督や脚本家・プロデューサーが出会える場所になって新しい作品が生まれることだ。「僕たちがずっと頑張るのではなく、若い人たちにバトンタッチしていけたら良いなと思っているんです」その思いに賛同して仲間になった若者も増えた。無理をせず余禄が出来たら、やりたい映画を掛ける…そこから世代を超えた新しい何かが生まれるなんて素敵ではないか。「まぁ、無謀は承知で老人たちがもの好きな場所を作ったというわけです」と最後に述べた言葉は鳥肌級にカッコ良かった。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2018年2月

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

行ってみたい

100%
  • 行きたい! (1)
  • 検討する (0)

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

ページトップへ戻る