岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

まるで美術館のようなロビーがある駅前のシネコン

2023年09月27日

小山シネマロブレ(栃木県)

【住所】栃木県小山市中央町3-7-1 
【電話】0285-21-3222 0285-21-0050(テープによる案内)
【座席】 5スクリーン 641席

大宮からJR東北本線の快速で40分あまり。栃木県の小山駅に直結した商業施設「小山ロブレ」の中に、シネマコンプレックス「小山シネマロブレ」がある。前身は戦後間もなく設立された映画館「銀星座」だ。この地でサイダー工場を経営していたオーナーが、アメリカで人気のあったコカ・コーラが日本に入ってくると聞きつけて、エンターテインメント事業に参入したのが始まりだ。駅前にあった映画館ビル「銀星会館」を昭和29年に買い取って、東映と日活を中心とした上映を開始した。最盛期には数多くの映画スターが舞台挨拶に訪れている。また高度経済成長期の小山駅は人気のテーマパーク「小山ゆうえんち」の最寄り駅であり、ここに来れば一日中遊べる北関東最大の娯楽スポットという事で、連日カップルから家族連れまで多くの人たちで賑わっていた。

駅前の再開発によって「銀星座」は、平成6年6月9日に5スクリーンを有する映画館「小山シネマロブレ」として生まれ変わった。駅ビルという立地のおかげで車を運転されない年代の人たちから重宝されている。設立当時はまだシネコンという名称が日本に浸透していなかった時代で、館内は昔の映画館の設計となっていた。だからトイレも各スクリーンごとに設置(今のシネコンならばロビーの一箇所に集約)されているが、利用者にとっては場内から近い場所にあってありがたいと好評だ。記録上では日本におけるシネマコンプレックス第1号は「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」となっているが、実は「小山シネマロブレ」はビルの工事が遅れたため、オープンが先を越されてしまったという裏話がある。関係者の間では「本当ならばウチがシネコン第1号だった」と悔しさを滲ませて語り種となっているそうだ。

エレベーターで7階に上がると「小山シネマロブレ」のエントランスがある。入口をくぐると、受付と売店の機能を集中して周りをスクリーンが囲むアイランド型のロビーが広がる。券売機だけではなく対面販売も続けているので、機械の操作が苦手な年配の方にはありがたい昔ながらのサービスだ。白を基調としたロビーは全体が見渡せるフラットな作りになっており、派手な装飾は控えめにして、高級感溢れる洗練された雰囲気が漂う。ここは常連さんから美術館のような映画館と言われており、ロビーには創業者が趣味で集めた数々の骨董品や美術品が展示されているのだ。上映までの待ち時間に美術品を鑑賞するのを楽しみにされるお客さんも少なくない。

小山ゆうえんちがあった頃は家族連れで賑わっていた駅周辺だが、閉園後は県外から来る人たちよりも地元の人たちが楽しめるスポットが増えてきた。平成19年に遊園地跡に同社経営の「小山シネマハーヴェスト」がオープンすると、小山は二つのシネコンが共存する街となった。それぞれの特性に合わせてプログラムを組んでおり、「小山シネマハーヴェスト」がメジャー系の大作を中心とした若者や家族向けの一般的なシネコンとするならば、「小山シネマロブレ」は比較的年齢層が高い人たちに好まれるミニシアターのシネコンとして上手く棲み分けられている。また熱心な映画ファンは、劇場前から出ているシャトルバスを上手く活用して映画のハシゴをされているようだ。

電車で30分程の宇都宮にある「宇都宮ヒカリ座」も同系列の映画館で、フィルム時代には「小山シネマロブレ」で上映した作品を宇都宮で再映する形を取っていた。この二つの劇場が互いに連携して見事なチームワークを見せたエピソードがある。「小山シネマロブレ」で上映していた本木雅弘主演の『おくりびと』が日本アカデミー賞にノミネートされた時、アメリカでもアカデミー賞を獲得する可能性があると見込んで上映を延長。その読みが見事に的中すると、そこからが大変な騒ぎになってしまった。県内ではここだけしか上映されていなかったため、予想を遥かに上回る多くの人が劇場に押し寄せたのだ。そこで急遽「宇都宮ヒカリ座」でも早朝9時の回を設けることになったのだが、フィルムは1本しかない。そこで行ったのがフィルムの1巻が終了するごとに電車で小山駅まで運び、お昼の上映回に間に合わせるピストン作戦だった。両駅には常に運搬用のスタッフが3人待機してフィルムを電車で運んだのだ。もし電車が止まったら上映の途中に穴が空いてしまうので、内心ヒヤヒヤものだったと当時を知る関係者は語ってくれた。

このように平成の時代になっても『ニュー・シネマ・パラダイス』のような世界が繰り広げられていたのかと思うと嬉しくなってしまった。苦労の甲斐があって『おくりびと』は連日立見となり、さらに上映が既に終了していた県外からも多くのお客様が来場されたという。このように楽しみにしている観客の元に映画を送り届けるため努力をされていた時代の話を聞くと、観客としても、一本の映画と大切に向き合わなくては…と思った。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2012年10月

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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