岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

映画を観るなら七ぶらで…生粋の映画ファンが集う映画館

2019年11月13日

静岡東宝会館(静岡県)

【住所】静岡県静岡市葵区七間町12
【電話】054-252-3887
【座席】CINE1:335席 CINE2:264席 CINE3:52席 CINE4:129席 CINE5:69席

 静岡駅から15分ほど歩いた場所にある繁華街・七間町に、夏の盛りになると通りをそぞろ歩く人々が増える。暑い夜、何をするわけでもなく浴衣で歩く姿から「銀ぶら」ならぬ「七ぶら」という言葉が生まれた。昭和初期の風物詩だった言葉が今も残るこの場所は、古くから大衆の町として映画館や寄席、芝居小屋が集まり、昼夜を問わず年中活況を見せていた。大正2年に常設映画館「パテー館」が創業してから、最盛期には封切館から二番館、三番館など十数館を超える映画館が軒を連ねた県屈指の映画街となり、昭和通りを挟んで二つの興行会社が人気を二分していた。松竹・日活系列の映画館を有していた静岡活動写真と、東宝・東映系列の映画館を経営する日本映画劇場だ。

 『ゴーストバスターズ』の公開時には、両社で上映したものだから、入れ込みが重なると通りを挟んで壮絶なメガホンによる呼び込み合戦が繰り広げられた。現在、七間町に残るのは、日本映画劇場改め日映(株)が運営する「静岡東宝会館」のみとなってしまったが、今でも静岡市民にとって映画を観るなら七間町という人も多い。昭和30年代の七間町は天然のシネコンという様相を呈しており、市民はぶらっと町を訪れて映画館を眺めながらどれ観ようかな…と選んでいたという。各映画館も棲み分けができており、封切を見逃した人たちは二番館、三番館を追いかけて、上手く人が町を回遊する仕組みが成り立っていたという。現在、興行部長を務める森岡功樹さんは「良い時代でしたよね」と当時を振り返る。

 前身となる森岡新聞店が映画館事業を始めて間もなく映画人気に火がついて、本格的な映画館事業に乗り出したのが昭和16年。戦後、再び日本映画が最盛期を迎え、市内に10館以上の映画館を持つほどに事業を拡大した。『キャノンボール2』をこけら落としとして、現在の複合ビルとなったのは昭和56年のこと。この時期は東宝アイドル映画路線が大当たりした頃で、たのきんトリオや光GENJIが主演の映画で舞台挨拶が行われた時は、徹夜組がブロックを二重に囲むほどの大行列を作った。コンクリート剥き出しの重厚な外観は当時のまま、5スクリーン体制で現在に至っている。

 一番大きなスタジアム形式の「CINE1」は客席数335席ながらも空間に広がりがあり、巨大なスクリーンで迫力のある映像と音響を堪能できる。森岡さんは、ここを映画だけではなくライブもできるような劇場にしようと構想を練っているそうだ。

 ちなみに、一番小さい52席の「CINE3」は奥行きが無い分、左右に広いスタジアム形式を採用しており、スクリーンとの距離の近さも座席の背もたれに角度の強い傾斜を付ける事で、視界いっぱいに映像を楽しめると定評がある。

 駅から歩いて来れる商圏内にある強みからファミリーや年輩層が圧倒的に多い「静岡東宝会館」も、通常のメジャー大作だけではなく、シネコンで掛からないような作品を積極的に掛けていきたいという。最後に森岡さんは「映画館を泣いたり笑ったりして気持ちを入れ替えるサプリメントのような場所にしたい」と、述べてくれた。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2014年9月

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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