高知の山奥にポツンと佇む懐かしの映画館
2020年08月19日
大心劇場(高知県)
【住所】高知県安芸郡安田町内京坊992-1
【電話】0887-38-7062
【座席】100席
こんな山奥に映画館…何とワクワクするシチュエーションだろう。風に揺れる木々の葉と、前の崖から懇々と湧き出る水の音、どこからか聞こえてくる鳥の囀り。たまに近所の軽トラが通るくらいで、余計な音は何も聞こえない。その時、映画館に取り付けられた年代物のスピーカーから昭和歌謡が流れ出した。するとどうだろう、その曲に呼び寄せられるかのように、お婆ちゃんやお爺ちゃんが集まりだした。受付に立つ館主の小松秀吉さんに一人のお婆ちゃんが「活動さん、また観に来たよ」と声をかける。スピーカーから音楽が流れるのは、間もなく上映が始まるベル代わりなのだ。皆さんお友達同士連れ立って車で30分ほどの距離を来ているという。
創業は、ここから車で5分ほど奥へ行ったところに先代のお父様が昭和29年に創業した、東映の時代劇や日活のアクション映画を掛けていた「中山映劇」が前身。当時は20脚ほどの長椅子に5人くらいの観客が肩寄せ合って、冬は薪ストーブを焚き、夏は汗だくで映画を観ていたそうだ。小松さんが映画館の仕事を手伝うようになったのは中学を卒業する頃。カラーテレビが出てきて映画の環境も変わってしまった昭和40年代は『仁義なき戦い』や『不良番長シリーズ』を上映していたが、映画館を引き継ぐと「中山映劇」を閉館して、昭和57年4月に現在の場所に「大心劇場」をオープンした。
場内の椅子や映写機は閉館する他所の映画館から譲ってもらい、スピーカーも昭和30年代当時のものを今でも現役で使っている。初めて訪れたお客様が驚くのは、場内の壁全面に隙間無く貼られた映画のポスター。最後列に設置された長椅子とテーブルを囲んで、お客さん同士ポスターを眺めながら休憩時間から映画談義に花を咲かせている。ロビーには創業時に使われていた四号映写機が展示されており、昭和の空気感を味わうために立ち寄る人も多い。
ちなみに、入口の絵看板は全て小松さんによる手描き。湧き水を空き缶に注いで筆で絵の具をかき混ぜて、白い紙に字のバランスが狂わないように鉛筆で線を引くと、タイトル、売り文句、出演者の名前…それぞれの文字を下書き無しに一気に描き上げる。「昔の館主は何でもやったもの。看板はその映画館だけのオリジナルだから面白い。映画館やるんやったら看板を描いて当たり前。それをやらなかったら映画館やる意味ない」と笑う。
映写は昔から変わらず、1台の映写機で複数巻のフィルムをリールが終わるタイミングで差し込んでいく「流し込み」という手法を行っている。映像が一瞬でも途切れないよう、フィルムのたるみに細心の注意を払いながら指先の感覚を頼りに送り込む高度な技を要する。これを全て見よう見まねで覚えた小松さんは、今でも映写機にフィルムを掛ける時はすごく緊張するという。カタカタとフィルムが回る音や、光や色の案配を見ながら音響にも気を配っていると手間が掛かる分、映画を映しているという実感を得られるそうだ。そんな小松さんは、映画が終わると必ず2階の映写室から降りてきてお客様をお見送りしている。例え1人でも、わざわざ観に来てくれたお客様のために全力で最高の舞台を作り上げ、最後に感謝を述べる…それが映画館を引き継いだ時から変わらない基本姿勢だ。
出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2016年4月
大心劇場のホームページはこちら
http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/#home
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
高知市内から室戸岬方面へ車で走らせること1時間と少し…右手に紺碧の海が見えてくると、豊かな自然に囲まれた田舎町・安芸郡安田町がある。土佐くろしお鉄道の安田駅の近く…国の登録有形文化財に指定された建築と漆喰の壁が連なる町を抜けて、アユやアメゴなど川魚の宝庫である清流・安田川に沿って山道を馬路村へ向かって上って行くと、山の中に突然、小さな映画館「大心劇場」が姿を現す。