岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

東映初の直営館が69年の歴史に幕を下ろす。

2023年03月22日

渋谷TOEI(東京都)

【住所】東京都渋谷区渋谷1-24-12
【座席】2スクリーン 712席
※2022年12月4日をもちまして閉館いたしました。

またひとつ学生時代から利用していた映画館が長い歴史に幕を降ろした。渋谷駅の東口を降りてすぐ、宮益坂下の交差点にある東映直営の映画館「渋谷TOEI」が、昨年末の令和4年12月4日に閉館した。戦後間もない昭和28年11月18日に東映初の直営館「渋谷東映劇場」と、洋画とニュース映画の上映館「渋谷東映地下劇場」の2館が、東映が経営する「喫茶トーエー」と「東映サントリーバー」を併設して、華々しくオープンした。まだ現在のような若者が行き交う流行の発信地というイメージの渋谷が形成される以前の事だ。

当時の渋谷は道玄坂を少し上った辺りに盛り場と映画館が固まっており人の流れも集中していた。だから駅の反対側にある宮益坂下に東映が映画館を設立されると発表された時は、(戦前の東横映画時代に小さなニュース劇場を有していたとは言え)誰もが地の利が悪いのではないか?と疑問に思ったそうだ。ところが、設立から1年も経たない内に、続々と映画館に掛かる東映の時代劇や任侠映画などのプログラムピクチャーに、乗り継ぎで駅を利用する学生たちが反応を見せた。昭和30年代に最も勢いがあった東映が送り出す作品を求めて連日チケット売場には若者たちの長い列が出来たのだ。

開館式には、片岡千恵蔵や大友柳太朗など東映スターが舞台挨拶で一同に介し、東映初の総天然色映画『日輪』を柿落としで上映された。私の手元にある昭和37年に発行された東映の社史「東映十年史」を開くと、当時、大手メジャーの映画会社で、唯一直営館を持っていなかった東映が、契約館で自社作品を上映するしか術が無かったジレンマが読み取れる。戦後の復興が進み、GHQによる時代劇制作の規制が無くなり各社がこぞって映画の量産を始めても、自館を持っていなかった東映は順番待ちを余儀なくされて、思い通りに自社作品を上映出来なかったのだ。だからこそ「直営劇場の増強」という旗印の下で、全社一丸となって遂に自社劇場の設立を果たした思いと期待が、社史に残されている社長の言葉から伝わってくる。

それから数多くの名作を送り続けて日本映画黄金期を支えてきた二つの映画館も老朽化のため平成5年2月に複数のテナントが入る「渋谷東映プラザ」に生まれ変わった。創業時の館名を引き継いだ「渋谷東映劇場」が邦画系、地下から階上へ移って改名した「渋谷エルミタージュ」が洋画系を中心にラインアップを組んでいた。「渋谷東映劇場」のヒット作としては、13週のロングラン興行となった『失楽園』を筆頭に『鉄道員(ぽっぽや)』が上位を占めている。全国の東映直営館の中でも若者向けの作品が強く、次回作の都合で4週間で打ち切らざるを得なかった『バトル・ロワイアル』も週間興行収入で1位を叩き出している。窪塚洋介主演の『凶気の桜』は渋谷が舞台になっていた事と時代背景がマッチしたため、センター街の若者がそのまま流れて来たような様相を呈していた。また子供たちの休みシーズンとなると、東映アニメフェアに多くの家族連れが来場し、ロビーは子供たちの歓声で盛り上がりを見せていた。方や「渋谷エルミタージュ」は、観賞後に原宿や青山に足を伸ばしやすい立地からカップルが多く、『L.A.コンフィデンシャル』や『恋愛小説家』『ベストフレンズ・ウエディング』といったデートムービーが上位を占めている。

以前は1階のチケット窓口で当日券を購入してエレベーターで、それぞれのスクリーンに上がっていた。まだバブル期の余韻が続いていた頃に建設されたため、ホワイエの柱や壁面・トイレの洗面台などには大理石など贅沢な素材を使われている。ワンスロープ式の場内はビルの中にある映画館とは思えないほど天井が高くシートの座り心地は抜群だった。個人的な感想としては単独の映画館での居心地の良さはトップクラスだったと思う。座席に座るとすぐさまパンフレットに目を落とすのが習慣だった私も、この劇場では天井の豪華な照明を見上げて開始のブザーが鳴るのを待っていた。

平成16年に館名を「渋谷TOEI」に改め幅広い世代に親しまれてきたが、映画館を取り巻く環境の変化とコロナ禍の影響による来場者の減少から、69年の歴史に幕を下ろす事となった。最終日は「さよなら渋谷TOEI」と銘打ったイベントが行われ、最終回の『バトル・ロワイアル』には、故・深作欣二監督の長男・深作健太監督が登壇して別れを惜しんだ。私が上京して初めて、こちらの映画館を訪れた時は、まだ渋谷は今のような若者の街というよりもどっち付かずの雑多で危うい空気が漂っていた。それから40年…街の様子もすっかり変わってしまった。私にとって、当たり前のように存在していた老舗の映画館が無くなるのは寂しいが、令和5年6月より跡地にて「Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下」が営業予定という。映画の灯は絶える事なく引き継がれる事になった。こうした変化が街の新陳代謝になるのだとしたら、せめて渋谷がもっと良い方向に変わることを期待する。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2003年6月(2023年3月加筆)

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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