岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

かつての花街にあった名画座で青春時代を過ごす。

2023年01月18日

ギンレイホール(東京都)

【住所】東京都新宿区神楽坂2-19
【座席】250席(取材当時)
※2022年11月27日をもちまして閉館いたしました。

昨年末の11月27日に東京からまたひとつお気に入りの映画館が姿を消した。JR総武線の飯田橋駅を降りて、神楽坂方面に向かって5分程の坂の入り口にある昭和31年に松竹の封切館(後に日活系に変更)として創業した名画座「ギンレイホール」だ。最終上映の『君を想い、バスに乗る』と『マリー・ミー』には、別れを惜しむ多くの常連客が来場した。決して経営不振という理由での閉館ではなく、入居しているビルの建て替えによる暫しの休館だ。現在のところ移転先は未定だが、神楽坂地区を念頭に置いて再開に向けて動いているという。再開したらイの一番に駆け付けようと思う。

学生の頃、名画座の梯子をする休日に通っていたのが、飯田橋駅前にあった大きな看板が目印の名画座「佳作座」と軽子坂の途中にある「ギンレイホール」だった。まずは朝9時台から始まる「佳作座」の二本立てを観てからお昼ご飯を食べて、午後から「ギンレイホール」の二本立てを観るというのが定番のコース。丁度、お昼の混雑時を外れた時間帯を挟むので、安い定食屋で腹ごなしをして午後に備える。駅前には大学や専門学校の学生向けの安い食堂がたくさんあったのだ。今でも忘れられないのが「佳作座」で『或る夜の出来事』『歴史は夜作られる』を観てから、「ギンレイホール」に移動して『ケンタッキー・フライド・ムービー』『ヤング・フランケンシュタイン』という鉄壁のプログラムを同じ日に観られた事だった。時には少し足を伸ばして、昔の「東京日仏学院」で開催されたフランス映画の上映会にも参加した。だから僕にとって飯田橋・神楽坂界隈は青春そのもので、それだけに平成元年4月に「佳作座」が閉館した時は青春時代に終わりを告げた思いがした。それから30年以上が経っても名画座「ギンレイホール」には、学生時代に比べて通う頻度は少なくなったもののよく利用させていただいていた。

テレビの台頭により映画の斜陽化が囁かれていた昭和40年代は、大手の映画会社が配給するのは邦画も洋画も大作ばかりの時代。どこも同じ作品を上映して凌ぎを削っていたため、小さな映画館には上映したくても掛ける作品がなかなか下りて来なかった。当時、お客さんが来ない夜の回は、窓口を閉めようかと思った事もあったという。むしろ銀嶺会館の地下にあった成人映画館「くらら劇場(当時はシネサロンくらら)」の方が流行っており、一時期は成人映画を交互に掛けて危機をしのいだ事もあった。名画座となったのは昭和49年からで、当時の名物社長は、月のうち3週映画が当たったら最後の1週は自分たちの掛けたい映画を上映するといったユニークな運営方針を打ち立てていた。いわゆる最後の週の映画が本来の「ギンレイホール」の姿勢を知ってもらうステイタス・シンボルとなっていたわけだ。8ミリで自主映画を撮っていた頃の森田芳光監督もここでアルバイトしており、場内でしゃべっているお客には「映画を愛せない人間は来る資格が無い」とよく怒っていたという。僕はそんな事も知らず『の・ようなもの』と『居酒屋兆治』の二本立てをここで観ており、その事実を知ったのはかなり後になってからだった。

平成に入ってからはレンタルビデオ店の普及に伴い映画館離れが進み、二本立て名画座の閉館が相次いでいた。成人映画も下火になり、上映作品にも変化が表れていた平成9年に「ギンレイホール」はリニューアルする。世はミニシアターブーム真っ盛りで、小さな配給会社も増えていて、取り扱う映画はインディーズ系が主流となっていた。上映したくても希望する作品が降りてこなかった時代から打って変わり、年間50作品を2週間切り替えでメジャーからインディーズ系まで幅広く上映。早いものではロードショー終了の翌日から掛けていた。封切りでは不入りで打ち切られた作品も積極的に拾い上げており、二本立の強みを活かしてヒット作を組み合わせる事で多くの映画に陽の目を当てていた。また、映画館にたくさん足を運んでもらおうと、日本で初めて年間フリーパスの「ギンレイ・シネ・パスポート」を導入。入場時にカードを機械に通すだけで、期間内ならば何度でも使用できて、二本立の一本を別の日に観ても、気に入った作品を何度でも観る事も可能だった。パスポート制度を導入してから、平日の昼間は学生、夜は仕事帰りのOLの姿が増えてきた。

いつも「ギンレイホール」で映画を観た後は、神楽坂界隈を散歩するのが好きだった。銀嶺会館横の路地から神楽坂通りに抜ける。夕暮れ時にポツリポツリ…と、お店に灯りがともる。この時間に流れる空気の匂いがイイ。昔の神楽坂通りは普通の商店街で、今のような女性が着飾って歩く街になるとは思いもしなかった。神楽坂は路地が多い。路地が多いと街に奥行きが出る。複雑に入り組んだ路地には黒塀に囲まれた旅館や料亭が何軒もある。黒塀の先が行き止まりになっている「かくれんぼ横丁」という名前の路地は、かつて神楽坂が花街だった頃の名残。昔、お忍びで遊びに来た要人が姿を隠すために、この路地に入り込めば、後を付けてきた間者を巻くことが出来た。「かくれんぼ」とは、何とも洒落っ気のある小粋な名前ではないか。あえて地図を持たずに迷うのを目的でただ歩くのが楽しい。私ごとだが、たまたま「ギンレイホール」が閉館する前日、神楽坂にあるお寺でお墓の生前契約をした。早くにお墓を購入しておくと長生きするというが、街の風景が少し変わって見えた。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2001年9月

「ギンレイホール」のホームページはこちら
https://www.ginreihall.com/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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