岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

エネルギッシュな歓楽街で硬派な日本映画を堪能。

2022年11月23日

新世界東映(大阪府)

【住所】大阪府大阪市浪速区恵美須東2-2-8 
【電話】06-6641-8568
【座席】95席

大阪のシンボル通天閣の御膝元に広がる新世界は、戦後、大小様々な芝居小屋や映画館が建ち並ぶ興行の街だった。さながら通りはフランス映画の『三文オペラ』の如く街全体が昼夜お祭り騒ぎの様相を呈していた。そこで思い出すのは今村昌平監督が初期に発表した『盗まれた欲情』だ。大阪周辺を巡業する「テント劇場」と呼ばれる掘立て小屋で、芝居やレビューなど何でもござれ…の旅回り一座をエスプリの効いたユーモアを交えて描かれる群像劇だ。舞台に立つ踊り子の人数が足りなければ、切符売り場のおばさんまで動員されたというエピソードが微笑ましい。場所代を払えない貧乏一座は千秋楽を待たずに、突然テントは解体されて河内の田舎に巡業に出るのだが…。その一座で脚本を書いている演劇青年を演じたのが若き日の長門裕之。通天閣の展望台から新世界を見下ろして、テレビ業界に身を置くかつて同僚に舞台への思いを熱く語る。

そんな通天閣の真下にある「新世界東映」は、昭和22年6月に創設した東映の封切館「新世界日劇」を前身とする東映の二本立名画座だ。場所柄、任侠映画や時代劇を中心に上映する。現在のビル「日劇会館」に建て替えられたのは、映画館の入場者数が減り地価が上がっていた昭和50年代だ。15年前までは、正面に掲げられた菅原文太と松方弘樹の絵看板がイイ味を出していたが、老朽化が激しく二週間ごとに掛け替え経費がかかるため、現在は簡単な劇場名だけの看板になっている。入口から階段を上がると踊場に所狭しと貼られているポスターに思わず足を止めて見入ってしまう。2階には自動券売機の向こうに広いロビーがあって、売店を兼ねた受付でチケットをもぎってもらう。ちなみに、同じフロアには「日劇シネマ」と「日劇ローズ」という成人映画館があるので間違えないように。ショーケースには市販のポテトチップス・豆菓子・どら焼きが並ぶ。どれも食べ慣れているはずなのにシネコンのコンセッションとは異なる美味さを感じるのは不思議だ。

その時、上映されていたのは中島貞夫監督の戦争映画『同期の桜』と関川秀雄監督のサスペンス『大いなる驀進』の二本立てだった。手書きのスケジュール表を見ると、朝イチの回に限り途中からの上映となっている。つまり映画の後半から始まるということだ。これは映画が入替え制ではなかった頃の名残。途中からでも次の回で前半を観るのが普通の時代があったのだ。シネコン慣れした若い人には信じられないだろうが、頭の中で上手い具合につなぎ合わせる…そもそも人間にはそういた編集機能が備わっているのかも知れない。『大いなる驀進』は未見だったので、周辺を観光してから深夜1時45分の回を観た。お菓子を購入して場内に入る。昭和歌謡が流れる場内は、平日の深夜だというのに意外とお客さんが入っていて驚いた。ちなみに休憩時間に流れているBGMは3館それぞれ違う。成人映画館はシャンソンとヒップホップ…というのが、何となく分かるようで面白い。

「新世界東映」の魅力は、何と言っても連日のオールナイト興行だ。上映作品の中にはDVD化されていない作品も多い。今でも映写はフィルムなので、傷だらけだったり変色していることもあるのだが、滅多に観られないお宝作品に出会えるのがありがたい。だから帰りがけに「こんな映画やっとんのか?懐かしいなぁ…これまたやってや」と声を掛けるお客さんもいる。そんな人は、かなり年季の入った映画ファンとお見受けする。最近の東映はヤクザ映画の新作が少なくなったため、昔の映画を数年単位で繰り返さざるを得ないのが悩みだとか。それでも思いがけない珍品を楽しみに来場されるお客さんは多く、中は何十年も通い詰めている常連さんもいる。オールナイトは映画館の数がピークに達していた昭和28年から始めたという。当時、関西で唯一オールナイトをやっていた「梅田日活」に多くの学生が来場している様子を見た代表の米田実さんが「これは流行る!」と直感して取り入れると、瞬く間に広まったそうだ。

米田さんは長年、映写と音響一筋で、6館もの映画館を経営している関西興行界の生き字引きだ。終戦後に就職した音響装置メーカーが映写機も扱っていたため、映画館へはメンテナンスで頻繁に出入りしていた。空襲で潰れた映画館が続々再建していた頃の昭和22年に独立して、自社製造の映写機を販売すると、評判を聞いた名古屋や四国からも注文が来た。そうすると当然足りなくなるのは映写技師。そこで米田さんはイチ早く、映写技師を斡旋・派遣する事業を始め、最盛期には23人もの映写技師を抱えていた。昭和30年代には新世界に15館もあった映画館だが、昭和40年代に入ると閉館したりボーリング場に鞍替えする映画館が増えていた。ところが米田さんは逆に経営が成り立たなくなった映画館を引き取り、独自のアイデアで存続させてきたのだ。それを「他のことが出来ませんのですわ」と笑いのける姿に頭が下がる。オールナイト終了後にロビーに出ると、年輩の常連客が「アベノミクスや最近の物価はどうだこうだ…」と映画館で景気の話に花を咲かせていた。そんな光景に映写を通じて人とのつながりを大切にした映画人の集大成を見た思いがした。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2013年8月

「新世界東映」のホームページはこちら
https://matusita-cinema.net/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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