岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

様々な文化の発信基地として生まれ変わった映画館

2018年03月07日

桜坂劇場(沖縄県)

【住所】沖縄県那覇市牧志3-6-10(旧桜坂シネコン琉映)
【TEL】098-860-9555
【座席】ホールA:291席 ホールB:100席 ホールC:80席

 夏の沖縄も良いが、重く垂れこめた雲が広がる冬の沖縄もいい。リゾート客がいない季節外れの沖縄で、車を借りて国道を残波岬に向かう。

右手に嘉手納基地が見える。『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』で、銀バス(今はもう無い)の車中、熟睡していた寅さんの頭上を戦闘機が飛び去るシーンが撮影されたのは、このルートだったのだろうか。残波岬では台風の被害から、しばらく立ち入りが禁止されていた灯台が前年に再開されたということで上ってみる。そこで、水平線の彼方に見える雲の切れ間から日差しが差し込むパノラマの風景に感動した。

 リリーと寅さんが間借りしていたのは、ここから更に先にある本部町。沖縄独特の瓦屋根の民家が建ち並ぶ情緒溢れる街並みは撮影当時のままだ。帰り道、お腹が空いたので北谷町にあるバーガーショップ「Gordie’s ゴーディーズ」に入って、ダブルチーズバーガーを注文。そのデカさに驚く。さすが基地の近くだけあって店内はアーミー服姿の軍人が多い。寅さんが露店を広げて売(ばい)をしていたのは、那覇市最大の繁華街である国際通り。通りの名前は「アニーパイル国際劇場」という進駐軍専用の劇場を中心とした興行街だった事に由来するそうだ。
 国際通りを牧志公設市場に向かう途中、横道に逸れると桜坂という坂がある。戦後は数百件のバーやスナック、キャバレーなどがひしめき合う一大歓楽街として栄えていたと聞く。その桜坂に唯一残る映画館「桜坂劇場」が、芝居小屋「珊瑚座」で創業したのは昭和27年。翌年には「桜坂琉映館」という映画専門館になった。日本映画の輸入が許され、それまで粗悪な闇フィルムでしか観られなかった日本映画をニュープリントで観られるようになり、多くの観客が詰めかけた時代だ。シネコンが進出した昭和61年には、3つの小劇場に建て替えて館名も新たに「桜坂シネコン琉映」とするも、年々来場者の減少に歯止めが掛からず、平成17年に閉館を発表した。
 ところが、存続を望む声が多く寄せられ、メディアも大きく取り上げた。その時、扇動を切って立ち上がったのが、現在代表を務める『ナビィの恋』の中江裕司監督だった。復活した新生「桜坂劇場」は、映画だけに留まらない多種多様な文化の発信基地として生まれ変わった。映画祭で各国を訪れた中江監督が見た世界中の映画館をヒントに、かつてのロビーは、カフェと雑貨や映画関連グッズのお店、2階は沖縄の伝統工芸品と民具を取り扱う専門店となった。また、事務所だった3階をスタジオに改装して、「桜坂市民大学」というワークショップを開催。年間150もの講座が行われており、沖縄の歴史や文化を体験できる講座には県外からも参加するほど人気があるという。

出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2016年1月

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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