岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

閉館された映画館にふたたび灯がともる時

2018年12月26日

高崎電気館(群馬県)

【住所】群馬県高崎市柳川町31
【電話】027-395-0483
【座席】256席

 たくさんの荷物を抱えた人々をギューギューに押し込んだ列車がホームに滑り込んでくるというオープニングが印象的だった、今井正監督が昭和30年に独立プロで製作した『ここに泉あり』。衣食住もままならぬ貧困の時代に、群馬県高崎市に生まれた市民フィルハーモニーの楽団員たちを描いた不朽の名作である。冒頭に出てきた木造の駅舎も上越新幹線の開業と共に駅ビルに変わり、現在では北関東最大のターミナル駅となった。

 そんな高崎駅から徒歩15分ほどのところに、戦前から映画館や芝居小屋が建ち並ぶ興行街だった中央銀座商店街がある。メイン通りから一本横道に入ったところ…かつて花街だった柳川町があり、今でも小さなスナックや小料理屋が軒を連ねている。近年、ここの路地裏や商店街で『セーラー服と機関銃 卒業』が撮影された。

 そしてその中央に構えているのが、大正2年1月1日に高崎初の常設映画館として開業した「高崎電気館」だ。オープン当初から連日立見の行列ができるほどの盛況ぶりを見せたものだから、後に続けとばかりに近隣に次々と映画館がオープンして興行街が形成された。

 戦災を免れた「高崎電気館」は戦後にはますます隆盛を極め、「映画を見たけりゃ高崎電気館」と言われるほどの代名詞となり、劇場前は電気館通りという名前が付けられた。昭和41年には大映の直営館となり、地下にはダンスホールのあるキャバレー、1階にはバーや小料理屋などのテナントが入る複合ビルとして生まれ変わった。その後も「ガメラシリーズ」や『地獄門』等のヒット作を連発して、子供から大人まで幅広く親しまれていたが、やがて時代は映画の斜陽期に突入。洋画専門館に切り替えるなどして何度も危機を乗り越えてきたが…平成16年、映画館を守り続けてきた館主の広瀬正和さんが病に倒れ帰らぬ人となると、休館したまま時は過ぎて行った。

 しかし、映画の灯は消えていなかった。夫人の公子さんが、観客のいない映画館を大切に管理していたのだ。駐車場にした方が良い…という声も上がっていたが、ご主人との思い出が詰まった映画館を何とか残したい一心で、手入れは欠かさなかった。おかげで、座席やスクリーンはそのまま使えるほどの保存状態だったいう。やがて、映画関係者から「電気館の復活」という声があがり、電気館設立から100周年にあたる平成25年に、高崎映画祭が中心になって特別上映会を開催し、大成功を収めた。その後、夫人は「このままの形で活用して欲しい」と高崎市に建物を土地ごと寄贈。遂に平成26年、『ここに泉あり』で再オープンを果たした。現在も定期的に『ここに泉あり』の無料上映を行っており、お客様の中にはエキストラで出ていたという方もいるそうだ。この映画館の復活物語は、映画と映画館を愛する人たちの結晶だ。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2016年1月

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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