岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

エキプ・ド・シネマの想い出に感謝を込めて。

2022年02月09日

岩波ホール(東京都)

【住所】東京都千代田区神田神保町2-1 岩波神保町ビル10階 
【電話】03-3262-5252
【座席】192席

札幌に住んでいた高校生の頃、下校途中にあった須貝ビルという映画館ビルの中に「シネマロキシ」という小さな映画館があった。そこで東京の公開から少し遅れて観たルキノ・ヴィスコンティの『ルードウィヒ神々の黄昏』のパンフレットに印刷されていた「岩波ホール」という館名。はて…「テアトル東京」のような映画館の名前らしくもなく、岩波と言えば「岩波文庫」しか思い浮かばない。それが私と「岩波ホール」との出会いだった。それからイングマール・ベルイマンやサタジット・レイといった高校生には若干ハードルが高い作品のパンフレットで度々目にするその館名のおかげで「岩波ホール=難解だけど面白い映画」と刷り込まれてしまった。初めて神保町にあるミニシアターの草分けである「岩波ホール」を訪れたのは、4年後の大学に進学して東京生活を始めて間もなくのこと。初めて訪れた時の革張りのシートに座った時の感動は今でも忘れられない。そんな「岩波ホール」が、2022年7月29日に閉館するという。その一報に、何事か?と耳を疑った。

古くから本の街として親しまれてきた神保町の中心に位置する神保町交差点に「岩波ホール」がオープンしたのは1968年のこと。当初は多目的ホールとして設立され、映画・音楽・演劇・文学の講演会やリサイタルなどが行われていた。スクリーンの前にピアノが置ける程の広いステージがあるのは、その名残りだ。初代総支配人を務めた故・髙野悦子さんと東宝東和の故・川喜多かしこさんが「世界の埋もれた名作を観てもらいたい」と新しい映画運動の会として1974年2月に「エキプ・ド・シネマ」を発足。同時に「岩波ホール」を常設の映画館として再スタートを切ったのが始まりである。エキプというのは仲間という意味だが、運命共同体という意味も持つ。つまり「映画を通じた運命共同体」の会と共に、ミニシアター「岩波ホール」は、誕生したというわけだ。

勿論、当時はミニシアターという言葉はなく、メジャー作品以外の映画が上映される専門の劇場が無かった時代である。興行する側のリスクがいかに大きかったかは想像がつく。そうした呼びかけに賛同して集まった「エキプ・ド・シネマ」は、当初2000人の会員からスタート。記念すべき第一回上映作品サタジット・レイ監督『大樹のうた』から今日まで48年の長きに亘り、国籍・ジャンルを問わず様々な名作を紹介し続けてきた。上映作品は、全てスタッフが話し合って「これなら岩波ホールで上映する価値がある」と意見が一致した作品をセレクトしている。オープニング第三弾として公開された宮城まり子監督の『ねむの木の詩』は、当時は興行的に成功する確信がない福祉をテーマとしたドキュメンタリーの上映を敢行。その結果、多くの観客を動員して、「岩波ホール」を語る上で欠かせない代表作となった。

過去のラインアップを見ると、それぞれジャンルは違っていても何となく「岩波ホール」らしい作品というのが伺える。決して傾向に片寄りがある訳ではないのだが、作品の雰囲気がその時代毎の映画館とリンクしている気がするのだ。1970年代は比較的ヨーロッパの作品が多く、ヴィスコンティやベルイマンなどの新作を取り上げ、80年代に入ってからはアンゲロプロスやアンジェイ・ワイダなどギリシャやポーランドといった日本で紹介されることがなかった国々の作品を公開するようになった。その中でも注目すべきは、90年代から数多く紹介されてきたのが第三世界といわれる南米、アジア映画の発掘であろう。特に中国映画に関しては創立25周年記念作品として公開された『乳泉村の子』が大ヒット。更に、98年に公開された『宋家の三姉妹』がロングランヒットをすると、ミニシアター動員記録でも歴代第2位を樹立した。

私も初めて劇場を訪れた日に「エキプ・ド・シネマ」の会員になった。手続きはロビーの受付ではなく、9階の事務所で専用用紙に必要事項を記入して入会金を支払うと、2年間有効の会員証が手渡される…その特別感が魅力的だった。1階のチケット窓口で会員証を提示すれば割引価格で観賞が出来るお得感以上に、これで「エキプ・ド・シネマ」の一員に加わったのだ…という事に興奮を覚えた。その日からというもの私はここで数多くの映画を観まくった。『八月の鯨』『山の郵便配達』『フィオナの海』など世界の名作と出会い、ウェルナー・ヘルツォークやアニエス・ヴァルダという映像作家の名前を初めて知った。「エキプ・ド・シネマの名に恥じない作品を選ぶようにしている」と取材の時に語られていたスタッフさんの思いが作品のラインナップからも伝わってくる。

女性ファンが多かったからだろうか、ホールを囲む飾り気のないシンプルなロビーは落ち着いたシックな雰囲気を持っており、待ち時間には受付前に並べられている関連書籍を手に取る。上映されている作品によっては、あまり予備知識のない国の製作だったりするので、充実した関連書籍のおかげで、作品に対する造詣も深くなった。ワンスロープの場内は、天井が高く音の響きが良い。前述した通りスクリーンの手前には広いステージがあるので、最前列がお気に入りの席で、いつも脚を伸ばして観賞するのが好きだった。この奥行きが観ているうちにスクリーンの中に吸い込まれていく不思議な効果を生み出しているのだ。ここで映画を観た後は神保町の古本屋(殆どが映画・演劇専門の矢口書店だったが…)や中古レコード店を物色して、最後にカレーを食べて帰るのがお気に入りのコースだった。東京から楽しみがまたひとつ無くなってしまうのが、何とも寂しい限りである。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2001年9月

「岩波ホール」のホームページはこちら
https://www.iwanami-hall.com/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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