日本初のロードショウ劇場として名作を送り続けてきた
2019年07月03日
有楽町スバル座(東京都)
【住所】東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビルヂング内
【電話】03-3212-2826
【座席】270席
今、手元に当時の『アメリカ交響楽』のパンフレットがあるが、長方形という規格外のサイズ、36ページというボリューム、そして無料配布が主流だった時代に、15円で販売されていた事に驚かされる。淀川長治氏や双葉十三郎氏ら重鎮の評論家の寄稿に加えて、音楽や衣裳まで細かく紹介されており、読み応えも充分だ。挟み込みのページでは、アメリカで日本語版字幕の台本を書いてきた田村幸彦氏(日本初の字幕付映画『モロッコ』を手掛けた人物)が、ニューヨークのロード・ショウ劇場事情を解説しており、ここに当時の盛り上がりが垣間見える。
ところが昭和28年、『宇宙戦争』の上映中に、倉庫からの出火で全焼してしまう。満席だったにも関わらず、1人も犠牲者を出さなかったのは、日頃から訓練された従業員の誘導が的確だった事と、観客も戦後間もない時代で空襲の経験が身近だったからと言われている。それから13年の月日が流れた昭和41年、跡地に建設された有楽町ビルの2階に「有楽町スバル座」は復活した。オフィス街の入口にある昔から変わらない広告塔と、星座のスバル座を表した星のマークがあしらわれた看板は、現在も有楽町駅前のシンボルだ。
以前は1階にあったチケット売り場も2階の踊り場に移動したが、手売りというスタイルは変わらなかった。レッドカーペットが3階の入口まで敷かれ、広いロビーでは、数多く上映作品の展示が行われた。忘れられないのはチャップリン特集で、個人の収集家からお借りしたという公開当時のマッチや双六といった珍品を見られた事だ。場内はワンスロープながらも傾斜があるので、どの席からも観やすく、最後尾の大きな柱やロビーの天井を這うパイプなど…そのどれもが懐かしい。かつてはフランス映画社のBOWシリーズ、平成以降はジム・ジャームッシュ監督をいち早く日本で紹介した事からミニシアターというイメージが定着。そして『イージー・ライダー』では過去最高の動員数を記録した。世代を越えて真剣に映画と向き合う常連客が多い「有楽町スバル座」は、常に最高のものを最高の環境で贈り続けて来たのだ。
出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2003年7月
※写真は2003年に撮影したものです。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
「大変お待たせいたしました。最後までごゆるりとご鑑賞くださいませ」。昭和41年に録音されたというノイズ混じりのアナウンステープが流れると、ゆっくりと場内は暗くなる。否が応でもこれから始まる映画への期待感が高まる老舗映画館がまたひとつ今年の10月に閉館してしまう。昭和21年12月31日に創設されたスバル興行が運営する「有楽町スバル座(当時は丸の内スバル座)」だ。翌年には「日本で最初の本格的ロード・ショウ劇場」という謳い文句で、ハリウッド映画を独占公開する。2階建て全席指定という贅沢な空間と、アメリカの文化を身近に感じる事ができる最新作の豪華ラインナップに、連日多くの観客が訪れた。