震災から10年…復興を続ける街で夢を贈り続ける
2021年03月03日
みやこシネマリーン(岩手県)
【住所】岩手県宮古市小山田2-2-1
【電話】070-4476-8636(移動上映に関するお問い合わせ)
【座席】147席
※写真は取材当時(2010年10月)のものです。映画館は2016年9月25日に閉館して、現在は旧シネマリーンを利用しての定期上映と移動上映を中心に活動されています。
そんな人口6万人の町に、1997年4月にオープンした国内初の生活協同組合が母体となって運営する映画館「みやこシネマリーン」がある。駅からのんびり歩いて20分ほど、宮古湾から吹く潮風を背に閉伊川に架かる小山田橋を渡る。見上げると青空に海猫が翔んでいる。ここは東北なんだな…と実感する。1960年代の全盛期は市内に7館の映画館があったのだが、91年に最後の映画館が閉館されると、しばらくの間、宮古市は映画館空白地帯となっていた。その間、有志の団体が自主上映を行っていたそうだが、定期的に上映会を開催していく内に映画館を復活させて欲しいという声が次第に多くなってきたのだと、話してくれたのは支配人の櫛桁一則さんだ。それまでは映画を観るにも片道2時間近く掛けて盛岡まで出掛けていた市民から地元で映画を観たいと要望が上がっていた。
やがて、街にも常設の映画館を…という気運が高まってくると、大きな企業が経営する劇場ではなく、「みんなで意見を出して、みんなで作る、みんなの映画館にしよう」という設立に向けた運動がスタートした。そんな時、ショッピングセンターのいわて生協マリンコープDORAがその趣旨に賛同してくれて日本初の試みとなる生協が運営する映画館が誕生したのである。生活協同組合員の全員が出資者だから、言い換えれば映画館の持ち主は組合員全員。だから定期的に行われる番組編成の会議には、組合員ならば誰でも参加が可能で、年に一回開催される総会でも映画館に関する意見や要望を協議されるなど組合員一人一人の声が届く映画館だった。
櫛桁さんは他にも、劇場の運営と平行して、映画館の無い山間部の市町村に映写機を車に積み込んで移動映画祭を行っている。映画に触れ合う機会が少ない場所で時には監督も同行してくれたり…と、その甲斐があって、あちこちの市町村から「うちの町にも来て欲しい」という声も増えて、片道2時間以上掛かる場所まで出張される事もあるという。「久しぶりに映画を観たというお婆ちゃんが、わざわざ、こんな所まで来てくれてありがとうと、頭を下げて喜んでもらえると行って良かったと思いますよ。本当は頭を下げるのは私たちの方なのに…」と顔を綻ばせていた。
この取材から半年後の3月11日、宮古市を東日本大震災が襲った。川を遡る黒い津波の映像がニュースで流れた時、見覚えのある煙突のある風景に、あの川である事がすぐに理解できた。2階にあった劇場は浸水を免れ、15日後には春休みのアニメでいち早く再開。暗いニュースばかりで我慢を強いられていた子供たちに久しぶりに笑顔が戻った。そこから復興に向けて映画館の建て直しに掛かるものの震災前の動員数まで回復する事はなく、2016年9月に常設館としての営業を終了する事となる。しかし「みやこシネマリーン」は、そこで終わりではなかった。櫛桁さんは、様々な形で上映活動を継続する。震災直後には仮設住宅を廻り無料上映会を開催して、多くの被災された人たちに楽しいひと時を提供した。現在も愛車のシネマリーン号に乗って、あちこちの災害公営住宅の集会所や被災地の公民館などに赴き、巡回上映を精力的に行なっている。その姿に、取材時に語ってくれた「一番大切なのは続けて行く事。利益を追求するよりも超低空飛行でも良いから存在していく事が大事」という言葉を思い出す。近年、また宮古市に映画館を…という声も出始めていると聞く。あの震災を乗り越えてきた人たちならば、きっと今回のコロナ禍もみんなの力で乗り越えて、再び町に映画の灯をともしてくれる事だろう。
出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2010年10月
みやこシネマリーンのホームページはこちら
http://cinemarine.blog45.fc2.com/
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
リアス式海岸で有名な三陸海岸に面した岩手県宮古市を訪れたのは、夏の盛りも過ぎた2010年10月。後年『あまちゃん』で有名になった三陸鉄道リアス線の久慈と盛の中間にある小さな港町だ。以前、映画評論家でエッセイストの川本三郎氏が書かれた映画のエッセイ本「町を歩いて映画のなかへ」で紹介されていた宮古は寂れた港町として情景を切り取られていたが、それから28年経った駅前はきれいに整備されており、住み良さそうな町という印象が強かった。駅前からバスで15分程のところには、白く切り立った火山岩によって形成された浄土ヶ浜という名勝地がある。浄土ヶ浜とは何とも幽玄な名前だが、その昔、この浜を訪れた常安寺の霊鏡竜湖というお坊さんが、あまりの美しさから極楽浄土のような…と感激したところから付いたという。確かに透明度の高い穏やかな海岸はこの世のものと思えない。近くの高台にあるレストハウスで眼下に広がる浜を眺めながら海鮮丼を食べた。