渋谷系サブカル世代に新しい映画の魅力を提供した。
2024年09月11日
【思い出の映画館】シネマライズ(東京都)
【住所】東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル2F
【座席】303席
※2016年1月7日をもちまして閉館いたしました
改めて「CINEMA RISE」と館名が入ったパンフレットを眺めると「挑戦しているなぁ…」と、つくづく思う。カラックスやタランティーノ、フォン・トリアーと初めて出会ったのもココだった。過去のラインナップにはやんちゃな問題児という印象が強く、敢えて一筋縄では行かない掴みどころが無い作品が並ぶ。中でも「強烈で刺激的な作品をかける映画館」というイメージを固定化させたのは33週にわたって上映された『トレインスポッティング』だった。更に『ムトゥ 踊るマハラジャ』はマサラムービーブームを日本中で巻き起こし、音楽ドキュメンタリーは当たらないという定説を打ち破った『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』をヒットに導いたかと思えば、『アメリ』は36週ロングラン興行という記録を樹立した。映画館の中にファッションと音楽を融合して、それまでの映画の観方を変えたのも「シネマライズ」だった。従来の映画館とは異なるバーカウンターのようなショップとサントラ盤の視聴コーナーには終映後CDを求める人たちが多く訪れていた。
当時は空前のミニシアターブームで8館(12スクリーン)のミニシアターが凌ぎを削る激戦区となっていた。最盛期の1990年代後半は渋谷全体が異様とも言える盛り上がりを見せていた。例えば、「シネマライズ」が通常興行で『ラン・ローラ・ラン』レイトショーで『π』を上映していた時に、向かいの「シネクイント」では『バッファロー’66”』、道玄坂の「シネセゾン渋谷」では『ロック、ストック&トゥ・スモーキング・バレルズ』をやっていたのだ。渋谷系と時代のカルチャー(レオス・カラックスとかハーモニー・コリンといった新しい映像作家がどんどん出てきた)がリンクしていたから惚れ惚れするような作品が並んでいたのだ。
長年、私に刺激を与えてくれた「シネマライズ」が、2016年1月7日『黄金のアデーレ 名画の帰還』を最終上映作品として閉館した。スタジアム形式の2階席へと続く曲線と直線が交じる階段は無機質の美しさに溢れており、ほの暗い間接照明に照らされるロビーで休憩時間を過ごすのも楽しかった。まさか映画館へ行くのに、STUDIO VOICEとCutを小脇に抱えて服装を気にするなんて思いもしなかったなぁ…と当時を振り返る。サヨナラ興行は一切しなかったのも「シネマライズ」なりの美学であり哲学だ。懐かしさだけで最終興行をやるのではなく、通常興行で終わりを迎える判断を選ばれたことに惚れ惚れした。
出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2015年11月
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
今月末で「岐阜新聞映画部」が終了となる。長い間「あなたの街の映画館」コーナーを任せていただいたおかげで「港町キネマ通り」で紹介した映画館を振り返ることが出来たのでありがたかった。最後の2館は私のわがままを聞いていただき、個人的に思い出深いミニシアターを紹介したいと思う。今回は渋谷がミニシアターの聖地と呼ばれるキッカケとなった映画館「シネマライズ」だ。JR渋谷駅からセンター街を通ってスペイン坂を上り切ったところ…建築家・北川原温氏がデザインした外観が特長的なRISEビルの中に「シネマライズ」はあった。それまでアート系と呼ばれる少々小難しい作品は一部のシネフィルによって支えられていたが、そこに映像・音楽・ファッションを取り入れた作品を紹介して渋谷系サブカル世代の若者を取り込むことに成功した。1986年にオープンした時はまだ松竹系の「渋谷ピカデリー」という館名だったが、こけら落しのメリル・ストリープ主演『プレンティ』と、続くジョディ・フォスター主演『ホテル・ニューハンプシャー』は、何と19週のロングラン上映を果たした。
本領を発揮したのは独自路線を歩んだ1992年からだ。当時の渋谷は空前のミニシアターブームで各館が凌ぎを削る激戦区となっていたが、そこからの「シネマライズ」の勢いは群を抜いていた。レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』やエミール・クストリッツア監督の『アンダーグラウンド」に衝撃を受けて「シネマライズ」に全幅の信頼を寄せた。バブル以降の渋谷はタワーレコードやHMVが出来て、渋谷系と言われる音楽まで出ていた時代。DCブランドに身を包んだ若者が集まっていた。 その一方で人と同じ事はしたくないというオリジナリティを求め、映画にしても全国ロードショー作品ではなくミニシアター系を選ぶ風潮があった。その流れに「シネマライズ」の作品がハマったのだ。例えば、ファッション誌にピーター・グリーナウェイが特集されると、その記事を読んだ若者たちが『プロスペローの本』を(背伸びをしてでも)観に来るといった感じだった。