岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

善光寺の門前町にある明治時代から続く老舗映画館

2020年09月02日

長野相生座・ロキシー(長野県)

【住所】長野県長野市権堂町2255
【電話】026-232-3016
【座席】相生座:176席 ロキシー1:264席 ロキシー2:72席

 日本映画史に残る不朽の名作『転校生』を大林宣彦監督自らが25年の時を経てセルフリメイクした『転校生 さよならあなた』は、舞台を港町・尾道から山に囲まれた長野に移して制作された。主人公の一美と一夫が登下校に使ったのが、長野市元善町にある善光寺の参道。その入り口にある創業300年という老舗の蕎麦屋の大丸が一美の実家という設定になっている。一美の祖父を演じた犬塚弘が、尾道から転校してきたうどん好きの一夫に「向こうには上手い蕎麦屋が無かったのか?」と尋ねると「いえ、むしろ美味しいうどん屋があったんです」と切り返すシーンが印象に残る。劇中に出てくる善光寺からアーケードのある権堂町に至るまでの界隈は古くから門前町として栄え、昔と変わらない町並みと入り組んだ路地が今でも残っている。

 そんな権堂町にある映画館「長野相生座・ロキシー」の歴史は古く、国内でも数少ない木造建築の映画館である。明治30年7月8日に長野県で初めて活動写真が上映された「千歳座」が前身で、元々、歌舞伎や新劇などの上演や政治演説会、相撲、権堂技芸の踊り披露等を行っていた芝居小屋だった。初上映作品は、リュミエール兄弟のシネマトグラフ『美人の踊』『騎兵の進軍』『パリの市街』などで、当時の市民は初めて観る動く映像に拍手喝采だったそうだ。入場料は上等席で三十銭という時代である。当時の権堂商店街は庶民の生活の場として常に活気と賑わいを見せ、やがて時代が演劇から映画に移ると、大正8年には館名を「相生座」に改めて映画専門館となった。

 戦前は映画以外にも興行が行われ、昭和8年には長野県初のボクシング試合が行われたそうだ。戦後には松竹のメイン館として木下恵介監督や小津安二郎監督の日本映画史に残る数多くの名作を送り続けていた。昭和47年には邦画のみならず洋画の上映も開始。昭和48年には、1館の大劇場だった「相生座」を大改修して2館体制で新しいスタートを切った。平成に入ってから『ハリー・ポッター』シリーズが大ヒットを記録すると、長野市内でも観客動員数がトップクラスの映画館となった。

 アーケードから奥まった場所にある佇まいは今も昭和の雰囲気を漂わせており、入口にある戸隠の流れをくむ手打ち蕎麦の「とがくし」で腹ごしらえしてから来場される常連さんも多い。劇場前の広場では、映画祭開催時に屋台が出たり、上映作品にちなんだイベントが開催されている。雀荘だった場所を映画館に改装して、現在は3館体制で運営。「相生座」と「ロキシー1」は2階席があり、奥行きのある縦長の場内だけにスクリーン全体を引いて観たいお客様には最高の座席である。「ロキシー2」は70席ほどのミニシアターであるが、客席数の割には比較的天井が高く、コメディでは場内の笑い声が適度に反響されて一体感が生まれると評判だ。

 平成19年より開催されている「名画特集」は人気の企画で、観客から観たい映画のアンケートを取り、実現可能な範囲で要望の多かった作品を大スクリーンで復活させるというもの。お客様の中には「この映画、昔ココで観たよ」と言われる方も多く、これは長い歴史がある映画館だからこそ。メジャー系から単館系まで幅広く上映されており、熱心な映画ファンの常連客も多く、中には東京で入手したチラシを手に「今度、この映画をやって欲しい」とリクエストされる方もいらっしゃるとか。商店街を歩きながら、目に止まったポスターを眺めてぶらりと映画館に入る。そして映画が終わると、顔見知りのスタッフに「面白かったよ」と声を掛けて帰られる…そんな人々の生活に根付いた映画館が商店街に残っているなんて羨ましい。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2009年10月

長野相生座・ロキシーのホームページはこちら
http://www.naganoaioiza.com/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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