岐阜新聞 映画部

映画にまつわるエトセトラ

Rare film pickup

既成のモラルや秩序を破壊した『青春残酷物語』

2023年10月27日

青春残酷物語と松竹ヌーベルヴァーグ

©1960松竹株式会社

俳優の須藤蓮さんセレクションの『青春残酷物語』(1960/6/3)は、いわゆる“松竹ヌーヴェルバーグ”の嚆矢(こうし)となった作品だ。

筏に組まれた材木の上で、清純派で売り出し中の桑野みゆきが半裸体のまま、裸の川津祐介に思い切り張り倒され、刹那的に抱かれる。「明るく、楽しい」松竹映画のファンには、おそろしくショッキングなことであったろう。

監督は、1954年に京大から松竹に入社した弱冠28歳の大島渚(同期に東大卒の山田洋次がいる)。チャンバラ映画全盛の東映や、裕次郎や旭の青春アクション映画の日活に後塵を排していた松竹の城戸社長が、他社に対抗して、気鋭の若い助監督を監督に抜擢した一人だ。

大島監督は前年の1959年11月に『愛と希望の街(原題:鳩を売る少年)』で鮮烈にデビュー。上映時間62分の添え物映画ながら、キネ旬ベストテン33位にランキングされるなど高い注目を浴び、番線のメインに昇格。2作目にして初の長編が本作である。

大島監督は製作当時、「自分のもっているすべてのエネルギーを賭けてぶつかりたいと考え、そして実際にぶつかっていった青春、しかし歪んだぶつかり方をしたために自爆するしかない悲劇。その中から青春が本来持っている残酷さを、さらにそれを通して今日の社会が持っている残酷さを描きたい」と語っている。(日本映画名作全史・戦後編/教養文庫より)。

興行は、高まる安保改定阻止の闘争に呼応したのか、どこも大入り満員。続いて吉田喜重(27)の『ろくでなし』(7/6)や篠田正浩(29)の『乾いた湖』(8/30)が封切られ興行的に成功。当時週刊読売の記者だった長部日出雄により、フランス映画のヌーヴェルヴァーグに習って「松竹ヌーベルヴァーグ」と命名された。

既成のモラルや秩序を破壊し、新しい人間関係を追及した彼らの映画は突風的なブーム現象をみせたが、安保闘争が挫折する中での既成前衛組織を批判・告発する大島監督の『日本の夜と霧』(10/9)(キネ旬10位)が上映打ち切りになるなどして急ブレーキがかかった。

そこで彼らは順次、松竹を飛び出して独立プロを作ることになるが、他社の若手監督を含め、小津や溝口、黒澤や木下らの巨匠が活躍した50年代からは明らかに異なる、新しいムーヴメントのけん引車になっていったのだ。

ロイヤル劇場で観る昭和の映画には歴史があるのだ。

語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白さから映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白から映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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