岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

豊岡で暮らす人たちと作り上げる新しい街づくりの拠点。

2022年05月11日

豊岡劇場(兵庫県)

【住所】兵庫県豊岡市元町10-18
【電話】0796-34-6256
【座席】154席

北近畿と呼ばれる兵庫県北部の日本海側に位置する豊岡市は、かばんの生産地とコウノトリの保護区して知られる。福知山から山陰本線に乗って豊岡駅に着いたのは夕方の4時を回ったところ。学校帰りの生徒たちと逆行して駅前の大関通りを西に向かって歩く。通りを歩いて思ったのは喫茶店やカフェが多い街だなぁという印象だ。あくまでも持論だが喫茶店の多い街は文化的な民度が高い。だから豊岡市にも大きな期待を持った。四方を小高い山々に囲まれた街は豊岡盆地の中心部にあるため訪れた6月はさぞかし蒸し暑いだろうと覚悟して来たのだが、思ったよりも夕方の風は涼しかった。高度経済成長期以前の鉄道が通るまでは、街の中心部は東西に流れる円山川の支流に隣接する中央公園からほど近い元町だった。この街には「豊岡東映」「大勝館」という映画館があって、メイン通りから少し入ったところに、昭和2年頃、芝居小屋として開業した「豊岡劇場」が創業時から変わらない佇まいで今も残っている。

建物は大正14年5月に発生した北但馬大震災を教訓として、鉄筋コンクリート造の看板建築で建てられたものだ。外観に見られるレリーフや徽章などの装飾は、貴重な昭和の遺産でもある。戦時中は倉庫として軍に接収されたが、戦後間もない昭和22年から映画の興行を開始した。当時はまだ芝居の上演を続けており、社交ダンス場としても使われていた。客席数590席を有する洋画の常設映画館となったのは昭和26年から。当時は2階席があり左右に座席が迫出した桟敷席だったが、昭和40年代に入ると大劇場を埋めるほどの観客が入らなくなり、2階席を分割して1階にメイン館の「豊劇1」、2階席を小劇場「豊劇2」の2館体制にリニューアルした。多くの市民から親しまれていた街の映画館もシネコンの進出とデジタル化が追い打ちをかけて、平成24年3月31日『ALWAYS 三丁目の夕日’64』と『マイウェイ 12,000キロの真実』をもって一度は幕を降ろした。

一度は取り壊しの話しも出ていた「豊岡劇場」だったが、幼少の頃から通っていた映画館に深い思い入れを持つ石橋秀彦さんが、数年越しに再建計画「豊劇新生プロジェクト」を打ち出して事業を引き継いだ。そして、地元の有志からクラウドファンディングによって再建資金が集まり、デジタル映写機は補助金を利用して導入した。平成26年12月27日に「豊岡劇場」は2年の歳月を経て復活したのである。地元で設計会社と不動産業を経営する石橋さんは、培ったノウハウを活かして既存のまま使えるものを有効活用して、歴史ある映画館に新しい風を吹き込む事で見事に蘇らせた。1階にある「豊劇1」は、前オーナーが大切に使っていたおかげで、スクリーンを張り替えただけで殆ど手を加える必要がなかった。芝居小屋の頃から使われていた中央に奈落が残る舞台は、昭和の映画館という趣きを残しながら舞台挨拶やライブなど様々なイベントに使用されている。

ロビー中央にある石の階段は劇場の象徴としてそのまま残して、かつての受付と売店は、カフェにリノベーション。チケット窓口はカフェのテイクアウト専用の窓口に変わったのが面白い。テーブル席の椅子には場内のシートを再利用したり、休憩スペースにはレトロなソファーや小物類を配置するなど、映画館という空間を解放して来場者が思いのまま自由に過ごせる演出を施している。ロビー奥の階段から2階に上がると、小劇場「豊劇2」を改装した多目的ホールと映写室があり、待合スペースにはリボンシトロンの自販機(勿論、使われていない)が置いてあって、思わず「懐かしい〜!」と声を上げてしまった。いつも取材の時は映写室を見せてもらうのが楽しみなのだが、ここの映写室は思いの外広く、映写小窓の上に貼ってあった古びたポルノ女優の写真を見つけた時は微笑ましく思った。成人映画をやっていた頃の映写技師さんが貼っただろうか。映写室の奥には、芝居をやっていた頃に役者たちの楽屋として利用されていた畳敷きの小部屋がそのまま残されており、そこだけ時が経つのを忘れたかのようだ。

館名についているCINEMACTION(シネマクション)は、「映画館を通してアクションを起こそう!」という意味の造語。「映画館にはどんな人でも集まれる場所であって欲しい」という石橋さんの想いが込められており、賛同するクリエイターたちの創作活動や意見交換の場となっている。2階の多目的ホールは、ライブやスタジオ、展示会など…若手クリエイターのために解放しており、実際に、CDデビューをした人や自分が撮った映像の上映会をされる人がいたり…気軽に色々な事にチャレンジする「場」になっていた。そのため映画館にはお年寄りからクリエイターを志す若者まで、今までに見られなかった幅広い年代の人たちが訪れるようになった。自ずと上映作品もミニシアター系からメジャー系までバラエティに富んでいる。

「豊岡劇場」が閉館した時、石橋さんは、このまま何もしなければ豊岡は何も特徴の無い地方都市になってしまうと危機感を覚えたという。「一見ボロボロの映画館ですが、子供からお年寄りまで街の人に愛された場所ってココだけだと思うんです。デートで来た想い出とか、映画を観て学んだ事とか…それが自分たちの生活の価値であって、それを安易に捨てたくなかった」という思いで続けてきた7年間だったが、今年の8月末で一時休館する事となった。理由はコロナ禍における来場者の減少で経営の見通しが立たなくなったからだ。現在も劇場再開に向けて模索しているところで、ミニシアターの映画配信サービスは引き続き継続されるという。この2年は全国の映画館の経営をコロナが直撃して、ロビーからは笑顔で映画を待つ観客の姿が消えてしまった。誰のせいでもない…それは分かっているのだが、その一言で片付けてしまうには余りにも虚しい。6年前に取材した日、カフェでずっと書き物をしていた若者と後からやってきた友人と談笑する何気ない光景を思い出す。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2016年6月

「豊岡劇場」のホームページはこちら
https://toyogeki.jp/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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