様々な人間模様が繰り広げられる新世界の映画館
2020年07月01日
新世界国際劇場(大阪府)
【住所】大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-32
【電話】06-6641-5931
【座席】新世界国際劇場:300席 新世界国際地下:200席
当時から殆ど内装や外観は変わっておらず、大正末期から流行したアール・デコの装飾が施された創業当時の建物に、道行く観光客は足を止める。今では珍しい大きな絵看板が掲げられているのも名物となっており、昔は3階の工房でお抱えの職人さんが絵看板を描いていたという。正面のショーケースに飾られるロビーカードを眺めて気に入った作品の入場券を自動券売機で購入したお客さんがお目当ての場内へ消えて行く。洋画の三本立ての「新世界国際劇場」は、今では珍しい二階席がある造りで、左右が迫り出すコの字型の桟敷席があるのは芝居小屋からの名残。一方「新世界国際地下劇場」は、昭和50年代後半から成人映画三本立て興行を行っている。両館共に、一度入場すれば朝から晩までずっといられるため、ハシゴしたい人には割引価格の両館共通券が用意されている。また外出券も発行してくれるので、朝からアクション映画を観て、外出して食事をしてから、午後から成人映画を観る…なんてことも可能だ。それにしても、この御時世に三本立てで、入場料1000円は安過ぎる。両方ハシゴをしても2000円でおつりが来るのだからお得だ。
コチラの名物はもうひとつある。昭和40年代後半から毎日、明け方の5時半まで行われているオールナイト興行だ。昔の新世界は、労働者が楽しく飲んで騒ぐ場所で、路上で寝たりケンカなんてザラだった。それが今では路上ではなく、映画館の場内で映画を観ながらひと寝してから明け方になると現場に向かっているという。昔は場内でケンカが起こる事も日常茶飯事。一度揉め事が起こると持ち込んだ仕事道具のツルハシとシャベルを構えて「なんだ!この野郎!」となる血の気が多いお客さんがいて、それを止めるスタッフも命がけだったそうだ。今では常連さんが騒いでいるお客さんを自発的に注意してくれたり、時には「怪しいヤツがいるから気をつけた方がいいよ」と教えてくれるそうだ。
ロビーの壁に掛けられた年季の入ったポスターには額装ひとつ取っても見事な細工が施されている。他にも椅子や喫煙室の灰皿など、劇場内を歩いていると発見がいくつもある。桟敷席の天井からぶら下がる今では珍しい球体のランプの灯りが、味わい深い雰囲気を醸し出す。ここ数年のレトロブームで新世界は大きく変わり、串カツ屋に普通に女の子が来店するようになった。三本立の名画座に馴染みがない若者たちには入替なしの料金体制が理解できず、劇場に入るのを躊躇して遠巻きに見ているそうだ。昭和世代には懐かしく平成世代には新鮮な名画座の良さを是非一度味わってもらいたい。
出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2018年1月
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
語り手:大屋尚浩
平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。
大阪のディープでファンキーな街・新世界。通天閣のお膝元で、誰もが分け隔てなく楽しめる一杯飲み屋や串カツ屋が建ち並ぶ庶民の街だ。昭和22年にはジャンジャン横丁の開業に伴い、6つの映画館が営業を開始。昭和30年代に入り、高度経済成長期の新世界は労働者の街として栄え、22館あった映画館も男性客を対象とした娯楽作品の二番館、三番館として低価格の興行を行っていた。鉄筋三階建ての二番館「新世界国際劇場」と、名画座「新世界国際地下劇場」が興行を開始したのは昭和25年6月のこと。前身は、昭和5年に竣工した芝居小屋「南陽演舞場」だったが、戦後、大衆娯楽が芝居から映画に変わるといち早く映画館に転向。日本映画と洋画を混在したプログラムには多くの観客が詰めかけた。