岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

歴史ある城下町の路地裏にひっそりと佇む映画館

2020年06月17日

川越スカラ座(埼玉県)

【住所】埼玉県川越市元町1-1-1
【電話】049-223-0733
【座席】124席

 池袋から急行電車で40分足らずの東京近郊にある川越市は古くから城下町として栄え、歴史ある寺院や土蔵造りの建造物が建ち並ぶ観光スポットとして多くの人々が訪れている。鉄道が通る前までは街の中心だった大手町界隈には、数多くの芝居小屋や寄席、映画館等が軒を連ね参拝帰りの人々が芝居や落語などに興じていたという。ところが、鉄道が通る計画が持ち出された時に他所者が街に入り込む事を嫌った地元商店街の代表が駅を離れた場所に建設させたため、時代と共に中心部は駅周辺に移動する事となった。そのおかげで古い町並みは地代の高騰とは無縁に守られ続け、昔からの姿を現在に留めることができたのだ。

 そんな城下町の一画…川越のシンボルとも言える時の鐘の裏手にある路地に、ひっそりと昔と変わらない姿の映画館が佇んでいる。住宅街の真ん中に溶け込んでいる正に地元密着型の映画館…今では川越市内にたった1館だけ残された映画館「川越スカラ座」である。劇場としての歴史は古く、明治38年に創業された寄席「一力亭」がその前身。その後、明治40年に「おいで館」、大正10年に「川越演芸館」を経て、映画専門館となったのは戦前の昭和15年のこと。館名も「川越松竹館」という松竹直営館として名作を送り続けた。

 「川越スカラ座」という館名になったのは昭和38年からで、この時期から洋画を中心としたプログラムとなった。ロビーに飾ってある当時の写真には映画『十戒』に並ぶ中学生の姿が写し出されており、映画最盛期の熱気が伝わってくる。平成に入るあたりから市内に7館あった映画館も年々閉館が続き、平成18年にはコチラの劇場を残すのみとなってしまった。平成19年5月に当時の支配人が高齢を理由に一度は閉館したのだが、川越の若者たちを中心に活動するNPO法人プレイグラウンドが「川越から映画館の灯を消してはならない」と賛助会員を募り、運営資金を集め、足りない分はスタッフが自らの貯金を切り崩して僅か3ヶ月後に運営再開に漕ぎ着けた。

 こうして映画館は再開したもののスタッフの誰もが興行の経験は無く、最初から手探り状態でのスタートだった。上映作品はスタッフ全員でアイデアを出し合ったり、時には一人で仕事を兼務する日々を繰り返しながら今までやってきたという。ロビーの壁一面には所狭しと様々なイベントの告知チラシが貼られており、時にはギャラリーとしても使われるなど人々の情報交換の場にもなっている。革張りの扉を開けると、ワンスロープ式の懐かしい場内が広がる。上映作品は名作や単館系から子供向けアニメまで幅広く、弁士・伴奏付きの無声映画上映会や舞台挨拶などのイベントが多いのも名物。時にはゲストと客席の距離が近いため座談会と化してしまう一幕もあるそうだ。

 偶然、映画館の前を通りがかった夫婦が「まぁ、懐かしい。まだこういった映画館が残っているのね」と今ではあまり見られなくなった入口にある小さなチケット窓口の前で立ち止まってスタッフに話しかけてきた。まだ開場前だったにも関わらず「中を見学させて欲しい」という要望に快く対応されていた姿が印象に残る。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2008年9月

川越スカラ座のホームページはこちら
http://k-scalaza.com/index.html

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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