岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

戦前から幾多の苦難を乗り越えた街にひとつの映画館

2020年06月03日

小倉昭和館(福岡県)

【住所】福岡県北九州市小倉北区魚町4-2-9
【電話】093-551-4938
【座席】1号館:270席 2号館:100席

 本州と九州を結ぶ玄関口として戦前から活気を帯びていた小倉は、近代日本を支えてきた工業地帯として、かなり元気の良いヤンチャな九州男児が明け方まで遊ぶ姿がアチコチで見られる。小倉駅から昔ながらの風情を残すアーケードをブラブラと散策していると、大正時代より続く九州の台所と呼ばれる旦過市場が現れる。何本もの路地が入り組み、生鮮食料品の店が軒を連ねる…そんな市場と並行して走る路地に名画座「小倉昭和館」がある。

 創設されたのは、戦前の昭和14年。席数600席を有する邦画専門の映画館として賑わいを見せていたが、設立当時は芝居の上演も行う芝居小屋も兼ねており、全国を巡業する片岡千恵蔵や阪東妻三郎など多くの有名一座が公演したという。昭和30年代の映画全盛期には館名を「小倉東映」に変更して東映作品の上映を開始。この頃から映画専門館として、近隣の三萩野町に「日活館」と「東宝富士館」そして木町に「木町東映」と3館の映画館を次々とオープンして活況を呈していた。ちなみに4館の内3館が東映の専門館だったという事から、当時の東映がいかに勢いがあったか想像できる。正月興行として公開された『任侠東海道』は全館で上映を行ったところ1日1万人を動員したという記録を打ち出した。

 日本映画が斜陽期を迎えていた昭和40年代に入ると、映画館だけでは経営困難となり、座席を減らしてパチンコ店を併設した。新しい娯楽としてパチンコ店は映画館を支える事となるが、市内にあった映画館も半分が閉館となっていた。ちょうどその時、映画館を救ったのが日活が経営転換して登場した日活ロマンポルノであった。それまでのピンク映画と異なり、上質な内容から多くのファンが映画館に戻ってきたのだ。当時は、人気女優の舞台挨拶も頻繁に行なわれ活況を見せていたという。そして、昭和57年にパチンコ店を改装して「小倉昭和館2」をオープンする。

 平成に入ると邦画専門から東宝洋画系を中心とした洋画の封切りを開始。平成8年には人気テレビアニメの映画版が大ヒット、昭和30年代以来の高い観客動員を記録した。それから子供向けのアニメと言えば「小倉昭和館」と言われるほどになった。更に2スクリーンの強みを活かして単館系の作品も上映すると、山口県から海を渡って訪れるファンも増えたという。平成16年から始めたムーヴオーバーの中には北九州初公開という作品も多く、こだわりのラインナップには目の肥えたシネフィルも一目置くほど。こうした作品はスタッフ全員で意見を出し合いながら決めており、時には映画に詳しい古くからの常連さんからの意見も参考にする事もあるそうだ。平成21年からは昔の名画の特集上映を開始しており、ユニークなカップリングが名物となっており、「松本清張生誕100周年記念」の特集上映では女優の有馬稲子さんがゲストで来場すると立見が出る程となった。今では多彩なゲストを招いて行われるトークイベントやライブ、オールナイトが名物となっており、毎回多くのファンが訪れている。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2011年9月

小倉昭和館のホームページはこちら
http://kokura-showakan.com/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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