岐阜新聞 映画部

映画にまつわるエトセトラ

Rare film pickup

飄々とした自然体の演技で、映画の芯を引き締めていた

2018年09月30日

樹木希林さん、今までありがとう

©2015 映画『あん』製作委員会/COMME DES CINEMAS/TWENTY TWENTY VISION/ZDF-ARTE

テレビのみならず、映画界で魅せた数々の名演技

 夫の内田裕也からは「死ぬときは俺を連れて行くな」と言われ、体調を心配した河瀨直美には「死ぬ死ぬ詐欺みたいね」と笑い飛ばし、宝島社の新聞広告では「死ぬときぐらい好きにさせてよ」の被写体になり、「もう70歳になったので、義理の仕事だけやらせてもらってます」と言っていた樹木希林さんが亡くなった。全身がんを告白していたが、ついこの間まで元気な姿を見せ、今後も『日日是好日』『エリカ38』と出演作の公開が控えているだけに、「まさか」という思いと「やっぱり」という思いが交錯している。飄々とした自然体の演技で、映画の芯を引き締めていたあの姿が見られなくなるのは大変残念であるが、「今までありがとう、あの世でもみんなに元気を与えてね」と笑顔で送ってあげるのが、樹木さんへの一番のお弔いだと思っている。

 テレビでも大活躍された樹木さんであるが、映画でも強いインパクトを残してきた。『はなれ瞽女おりん』(1977年、篠田正浩監督)では、目を閉じたままの岩下志麻に対し、目を開いてはいるが焦点の定まらぬ盲目の瞽女おたまの役で、その哀しみをあっけらかんと演じ、芸達者ぶりを発揮していた。

 郷ひろみとの名コンビ『ワニと鸚鵡とおっとせい』(1977年、山根成之監督)では、破産したサーカス団のオットセイ係メリーを、ゴーとの絶妙なコンビネーションで演じ、笑わせてくれた。

 『夢千代日記』(1985年、浦山桐郎監督)では、吉永小百合演じる夢千代が経営する置屋にいる年増の気のいい芸者菊奴に扮し、重い話に軽みを与えてくれた。

 初めて演技賞を貰った『半落ち』(2004年、佐々部清監督)での熱演以降は、演技賞の常連となっていく。『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2007年、松岡錠司監督)のオカンの役で、第31回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した時のスピーチ「私なら違う作品を選ぶ」「半分くらいしか出演していないのに賞をいただいてしまって申し訳ない」「組織票かと思った」など、奔放な発言でも注目を浴びていく。日本アカデミー賞には縁があり『わが母の記』(2012年、原田眞人監督)で最優秀主演女優賞を受賞した際のスピーチで全身がんを告白する。

 その後も『あん』(2015年、河瀨直美監督)のあん職人、『モリのいる場所』(2018年、沖田修一監督)のモリカズの妻、『万引き家族』(2018年、是枝裕和監督)の婆と名演技は続いていく。最後にもう一度「樹木希林さん、ありがとうございました。お疲れさまでした」。

語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白さから映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白から映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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