岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

浅草六区映画街で映画を観た後の楽しみ

2021年08月25日

【思い出の映画館】浅草東映/東映パラス(東京都)

【住所】 東京都台東区浅草2-14-2
【座席】 浅草東映 469席/パラス1・2 722席
※2003年5月22日をもちまして閉館いたしました

昭和40年代半ばまで浅草で映画を観るなら「浅草六区映画街(現在の浅草六区ブロードウェイ)」だった。明治17年に、浅草寺が公園に指定され近隣の地区は7つの区画に分けられ、六区にあたる区域が映画館や芝居小屋が建ち並ぶ興行街となる。多くの観客で賑わいを見せていた様子は松竹が創立100周年を記念してオールスターキャストで製作された『キネマの天地』で再現されていた。この通りが最盛期を迎えたのが戦後間もない昭和20年代後半から30年代前半にかけて。空襲で焼け野原と化した下町も復興が進み、浅草のシンボル「国際劇場」が再建されると街の活気は加速度を増して、映画以外にも女剣劇やストリップといった風俗が流行して街は異様な盛り上がりを見せていた。一方の映画興行はというと、私が大学で上京した昭和54年当時でも、まだ17館の映画館が残っていたものの12館が成人映画館となっていた状況に、映画産業の斜陽化を肌で感じていた。

雷門通りからすしや通りを抜けて、花やしきのあるひさご通りへ歩いて行くと、突き当たりにあったのが東映の封切館「浅草東映」と「浅草東映パラス」だ。ちょうど映画街の奥座敷に構えているかのように通りのドン付き正面に大きな絵看板が見えた。1階にはメイン館「浅草東映」、2階へ上がると「浅草東映パラス2」、地下に降りると「浅草東映パラス1」があった。ロビーには大理石の太い柱があり、エントランスの床にも創業時から変わらぬ重厚な大理石が施されていた。かつて、この場所には、12階建ての「凌雲閣」と吉本興行が運営していた「昭和座」という大劇場があり、その跡地に昭和32年に建てられたのが、1020席を有する「浅草東映」と、地下に520席を有する名画座「浅草東映パラス劇場」である。昭和40年に入ると大劇場が満席になるほどの入場者は少なくなり「浅草東映」は2階席を分割して中規模クラスの「東映パラス2」をオープンする。全盛期を迎えた東映が第二東映を新設してピンク映画とB級映画の製作に乗り出していた時代である。

地下の「浅草東映パラス劇場」は、一時期日活に貸し出して、日活の封切館「浅草日活」として営業をしていたり、平成3年には近隣にあった「浅草松竹映画劇場」が閉館すると、松竹に貸して“浅草松竹”という館名で松竹の封切館として営業をしていた事もあった。意外にも浅草には『男はつらいよ』のお膝元でありながら、松竹の映画館が存在していなかった時期があったのだ。館名が「東映パラス」となっても特にチェーンに属してはおらず、松竹系の作品と洋画・邦画問わずロードショウ公開したり、時にはムーヴ・オーバー作品も上映されていた。私が初めて「浅草東映」を訪れたのは今村昌平監督がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『楢山節考』と名取裕子主演の『序の舞』の二本立て興行で、映画が終わって外に出た時の場外馬券売場の場末感漂う粗野な雰囲気が何とも言えなかった。映画館の隣には「びっくり食堂」という昭和25年創業の小さな大衆食堂(元々はフルーツパーラーだったというから驚く)があって、生姜焼き定食(これが本当に今まで食べた中でダントツに美味しい!)を映画の帰りに食べるのが定番だった。ここは土日しか営業しておらず、おかげで昼時は競馬新聞を片手のオッサンたちで常に満席状態だった。

一方で、夏休み、春休みになると近所の小学生たちがお小遣いを握り締めて自転車をこぎながら東映アニメフェアにやって来る。両親に連れられてアニメを観に映画館へ来ていた子供たちが友達同士で映画を観るようになると、劇場内でお菓子を買って、ちょっとだけ大人になった気分を味わう。そんな小旅行を体験しながら少しずつ成長していく。映画館には、そういった大人の入口みたいな不思議な雰囲気があった。そして映画が終わると、うんちくを語りながら仲間と一緒に帰路に付く。この映画館のメインの客層と言えば、こうした小中学生と年輩の常連客だ。浅草には昔からこの土地に親しまれている人が多く、そんな古くから馴染みの映画ファンがブラリと映画館にやって来ては映画を楽しんで帰って行く。鯔背(いなせ)な昔気質のお爺さんたちが「映画はやっぱり浅草だよ」と地元の映画館に足を運ぶのである。とは言うものの、映画館としては、もっと若いお客さんにも来てもらいたい…と当時の支配人さんが本音をもらす。若者に人気の洋画も上映していると認知度を上げるために、見逃してしまった洋画を日にちが経っても積極的に上映していた。ここ浅草というロケーションは映画だけではなく、映画を観終った後の楽しみも数多い。馴染みの映画ファンは映画観賞後に必ず立ち寄る名店があったりして、家に着くまでが一連の映画の楽しみ方だった。そんな昭和の時代に数多くの娯楽を地元の人たちに届けて来た下町の映画館は、建物の老朽化に伴い『魔界転生』をラストショーとして平成15年5月に半世紀に亘る歴史に幕を降ろした。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2001年5月

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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