岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

Meet somewhere

生きていく意味を問いかけた重層的で哲学的な力作

2018年07月30日

海を駆ける

©2018"The Man from the Sea"FILM PARTNERS

【出演】ディーン・フジオカ、太賀、阿部純子、アディパティ・ドルケン、セカール・サリ、鶴田真由
【監督・脚本】深田晃司

深田晃司監督の水辺のこだわりとは?

 2004年12月に発生し約22万人が犠牲となったスマトラ島沖地震では、震源域に近い本作の舞台であるバンダ・アチェの街は、死者10万人以上という壊滅的被害を受けた。その記憶も覚めやらぬ2011年3月、忘れもしない東日本大震災が発生した。『海を駆ける』は、この未曽有の災害を経験した日本人とインドネシア人が出会い、互いの津波への向き合い方や死生観の違いをベースに、生きていく意味を問いかけた重層的で哲学的な力作である。

 物語の中心は、国籍も宗教も違うタカシ(太賀)、サチコ(阿部純子)、クリス、イルマの青春群像劇であるが、そこへ海からやって来た謎の人物ラウ(ディーン・フジオカ)が加わる事によって、ファンタジードラマの要素が加わってくる。ラウの不思議な能力は、周囲にさまざまな奇跡を起こす。彼の行為に善悪の区別はなく、人の命を救うこともあれば奪うこともある。

 果たしてラウは何者なのか?海から来て海へ帰っていく南の生物と言えば、太平洋の藻屑となった日本兵の怨念の塊でもあるゴジラを思い出す。ラウは、津波で死んでいった多くの犠牲者、内戦で亡くなった住民などの化身であるのかもしれない。もしかしたら、ラウは人間の形をしてはいるが、いつも気まぐれで、時に恵みをもたらし時に猛威をふるう自然そのものかもしれない。

 ラウが起こす奇跡は何を表しているのか?死んでいった人たちを「神様が望んだことだから仕方がない」と考える現地の敬虔なイスラム教徒にとって、生と死の境界は、ただ物質があるかないかだけで、ココロの内、夢の中ではごく当たり前に生きている。手品のようなラウの行為を、超自然現象として受け入れている彼らの姿のことなのか。

 前作『ほとりの朔子』『淵に立つ』は川辺での物語であったが、本作は海辺で展開される。深田監督の水辺へのこだわりは何なのか?監督の個性が凝縮された、作家性が強いファンタジー映画である。

語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白さから映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白から映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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