岐阜新聞 映画部

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寂聴さんと光晴氏、恋はなんて不条理なんだ

2022年12月27日

あちらにいる鬼

©2022「あちらにいる鬼」製作委員会 

【出演】寺島しのぶ、豊川悦司、広末涼子、高良健吾、村上淳、蓮佛美沙子、佐野岳、宇野祥平、 丘みつ子
【監督】廣木隆一

劇映画で観る二人の関係は、また格別

映画の中では、主演の寺島しのぶさんの役名は長内みはる、豊川悦司さんの役名は白木篤郎となっているが、恐らくこの映画を観る人の大多数は、みはるは瀬戸内晴美(のちの寂聴)(1922~2021)、篤郎は井上光晴(1926~1992)とわかって劇場に足を運んでいる。

私も、寂聴さんは『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』(2022/中村裕監督)、光晴氏は『全身小説家』(1994/原一男監督)という優れたドキュメンタリーでその人となりは見ているが、役者が演じる劇映画となるとまた格別である。さらに原作が光晴氏の長女の荒野さん、シナリオがキネ旬脚本賞5回受賞の大御所・荒井晴彦氏、監督が『ヴァイブレレータ』(2003/キネ旬3位/脚本:荒井、主演:寺島)の廣木隆一氏となれば期待せずにはいられない。

そんな高いハードルの中で観た『あちらにいる鬼』であったが、私には何かデジャブ感のある見知ったような映画に感じてしまった。これは映画の良し悪しというよりも個人的な体感なので、映画の出来を言っているわけではない。

『全身小説家』の時から感じていたが、井上光晴氏の女関係のだらしなさ、ストリップと称する醜悪な露悪趣味は私には全く理解できない。本作を観ていても、決して「男のバカさ加減」などと肯定しているわけではないが、やっぱり不快なのだ。

一方の寂聴さんも、よくぞまあこんな男に惚れたものだ。思いを断つために出家までしたのだから相当である。ダメ男に何故惚れるのか、恋は不条理である。

光晴氏の妻(広末涼子)が不倫の関係を認めていたのはわからぬでもない。昔の女の人は稼ぎのある亭主には、男の甲斐性として我慢していたのだろう。でもこんなことが現代に通用する訳が無い。

映画の出来は決して悪くないし、寂聴さんは奔放な恋愛を含めて生き様そのものが大好きだが、光晴氏の身勝手な行動を良しとするわけにはいかないのだ。

語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白さから映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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語り手:ドラゴン美多

中学三年の時に見た「日本沈没」「燃えよドラゴン」のあまりの面白から映画の虜になって四十数年、今も映画から夢と希望と勇気をもらっている、ファッションチェックに忙しい中年のおっさんです。

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