岐阜新聞映画部映画館で見つけた作品チャーリー・イズ・マイ・ダーリン 2Kレストア版 B! 絶頂期のストーンズを目撃できる貴重なドキュメンタリー 2022年09月12日 チャーリー・イズ・マイ・ダーリン 2Kレストア版 ©2012 Because Entertainment, Inc/ABKCO Films 【監督】ピーター・ホワイトヘッド 躍動する演奏と和やかな楽屋裏 まだ尖っていない若々しい姿 以前、ふれたことだが、ザ・ローリング・ストーンズは、60年代のはじめに、幼なじみであった、ミックス・ジャガーとキース・リチャーズの再会によって生まれた音楽的な化学反応を起源とし、それをバンドの活動の歴史の始点としている。 ふたりにディック・テイラーを加えたメンバーで音楽活動がスタートしたが、ロンドンにある "イーリング・ジャズクラブ" でゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターの演奏に衝撃を受けたことが、新たな展開を発生させる。その時、同じステージにいたのが、後にメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツだった。 新たなバンドは、ワッツが見つけてきた練習場で活動をはじめる。まだ、名前もないバンドは、ミック、ブライアン、イアンで、シカゴ・ブルースを中心に演奏するようになる。やがて、ミックの強い要望でキースが遅れてメンバーに加った。 1962年6月、"ジャズ・ニュース誌" の取材を電話で受けていたブライアン・ジョーンズが、バンド名を尋ねられた時、たまたま、床にあったマディ・ウォーターズのレコードを見て、その中の1曲 "ローリング・ストーン" をバンド名にしたとされている。その時は、まだストーンズではない。 63年6月7日にリリースされたデビューシングルは、チャック・ベリーのカバー曲「カム・オン」だった。 プロデューサーやマネージャーの選出で、紆余曲折を経たが、同時にはじめたツアー活動により、バンドの知名度も次第に高まった。 65年5月、3度目の北米ツアーの間に録音されたのが 「サティスファクション」で、6月にアメリカでリリースされ、4週連続全米No. 1を獲得し、世界的な大ヒットとなった。 『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』は、バンド活動が昇り竜の勢いにあった1965年9月3、4日に行われたアイルランド・ツアーの映像である。そこには乗りに乗っていた若々しい彼らの様子が映し出され、熱気溢れる演奏と和やかなオフショットが付け加えられている。ザ・ローリング・ストーンズを目撃し、その魅力を感じ取れる貴重なドキュメンタリーである。 語り手:覗き見猫映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。 100% 観たい! (4)検討する (0) 語り手:覗き見猫映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。 2023年12月04日 / おしょりん メガネ作りを地域産業にした挑戦と情熱の物語 2023年12月04日 / おしょりん 増永兄弟の艱難辛苦のサクセスストーリー 2023年11月29日 / 私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰? 権力と闘う信念の女性の生き様で描く政治映画 more 2022年06月22日 / 小山シネマハーヴェスト(栃木県) 遊園地の跡地に出来た商業施設で映画を観た後は… 2021年12月22日 / 【思い出の映画館】千日前国際シネマ(大阪府) 戦後、難波の映画街で多くの日本映画を送りつづけた 2023年01月18日 / ギンレイホール(東京都) かつての花街にあった名画座で青春時代を過ごす。 more
躍動する演奏と和やかな楽屋裏 まだ尖っていない若々しい姿
以前、ふれたことだが、ザ・ローリング・ストーンズは、60年代のはじめに、幼なじみであった、ミックス・ジャガーとキース・リチャーズの再会によって生まれた音楽的な化学反応を起源とし、それをバンドの活動の歴史の始点としている。
ふたりにディック・テイラーを加えたメンバーで音楽活動がスタートしたが、ロンドンにある "イーリング・ジャズクラブ" でゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターの演奏に衝撃を受けたことが、新たな展開を発生させる。その時、同じステージにいたのが、後にメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツだった。
新たなバンドは、ワッツが見つけてきた練習場で活動をはじめる。まだ、名前もないバンドは、ミック、ブライアン、イアンで、シカゴ・ブルースを中心に演奏するようになる。やがて、ミックの強い要望でキースが遅れてメンバーに加った。
1962年6月、"ジャズ・ニュース誌" の取材を電話で受けていたブライアン・ジョーンズが、バンド名を尋ねられた時、たまたま、床にあったマディ・ウォーターズのレコードを見て、その中の1曲 "ローリング・ストーン" をバンド名にしたとされている。その時は、まだストーンズではない。
63年6月7日にリリースされたデビューシングルは、チャック・ベリーのカバー曲「カム・オン」だった。
プロデューサーやマネージャーの選出で、紆余曲折を経たが、同時にはじめたツアー活動により、バンドの知名度も次第に高まった。
65年5月、3度目の北米ツアーの間に録音されたのが 「サティスファクション」で、6月にアメリカでリリースされ、4週連続全米No. 1を獲得し、世界的な大ヒットとなった。
『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』は、バンド活動が昇り竜の勢いにあった1965年9月3、4日に行われたアイルランド・ツアーの映像である。そこには乗りに乗っていた若々しい彼らの様子が映し出され、熱気溢れる演奏と和やかなオフショットが付け加えられている。ザ・ローリング・ストーンズを目撃し、その魅力を感じ取れる貴重なドキュメンタリーである。
語り手:覗き見猫
映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。
語り手:覗き見猫
映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。