岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

Meet somewhere

須藤蓮という才能が瑞々しく映し出されている

2022年07月20日

逆光

© 2 0 2 1 『逆光』F I L M

【出演】須藤蓮、中崎敏、富山えり子、木越明
【監督】須藤蓮

繊細で不器用な青春映画

俳優の須藤蓮が監督を務めた映画だという。正直、不安の方が大きかった。というのもこれまで私は俳優が手掛けた映画に幾度となく失望させられてきたからだ。そんな気持ちで映画館の椅子に座った。

さて、そうして始まったこの映画。ロープウェイの映像が白黒で映し出されて幕が開いた本作はゴンドラの中でカメラが360度パンするテクニカルな映像が続いた。人物がすれ違う時の流麗なカメラワークや独特のアングル、真っ白な障子など美しい映像の連続だった。気が付けば最初に抱いていた不安はどこかへ吹き飛んで、映画の世界に入っていた。とても20代前半が撮ったとは思えないほど抑制の効いた演出が施されている。どうしても若さゆえの荒々しさや自意識に基づくテーマ性が全面に出てしまうものだ。特に初長編ともなればやりたいことを詰め込んでしまいがちだ。しかし、本作を観ると必要なものとそうでないものを的確に取捨選択して演出されていることがわかる。

大きな出来事や関係性の変化はなにも起こらないというシナリオ。ともすれば退屈極まりない映画になりそうなところをちょっとした目線の動きや表情の変化を的確に捉えることで彼らの心情が観客に伝わってくる。そんな見え隠れする内面を描き出すセンスによって見入ってしまうのだ。

時代背景は明言されていないが、明らかに1970年代。三島文学を語り、若者たちはゴーゴーを踊り、薄っぺらで過激な政治論をぶつけ合う頭でっかち。感情を否定し、理論だけを重視する人物像は明らかに70年代のインテリだ。その中である人物への恋慕を秘めた主人公と彼を冷めた眼差しで見つめる幼馴染、そして奔放な同級生。満たされない心を抱えた3人が過ごす夏。誰一人として直接の言葉にしないからこそ成り立っている関係性のわずかなほころび。繊細で不器用で傷だらけの青春模様は私の大好物だ。

渡辺あやの繊細で優しさあふれる脚本とその繊細さをそのまんま映像に起こした監督のセンス。二つが合わさって62分という背伸びをしない上映時間で仕上がった作品を頭ではなく感覚で楽しんでほしい。そこには須藤蓮という才能が瑞々しく映し出されているのだから。

語り手:天野 雄喜

中学2年の冬、昔のB級映画を観たことがきっかけで日本映画の虜となり、現在では24時間映画のことを考えながら過ごしています。今も日本映画鑑賞が主ですが外国映画も多少は鑑賞しています。

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語り手:天野 雄喜

中学2年の冬、昔のB級映画を観たことがきっかけで日本映画の虜となり、現在では24時間映画のことを考えながら過ごしています。今も日本映画鑑賞が主ですが外国映画も多少は鑑賞しています。

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