岐阜新聞 映画部

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『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』井浦新さん、井上淳一監督トークショーレポート

第82回CINEX映画塾『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』が6月16日(日)に開催された。若松孝二監督役の井浦新さん、井上淳一監督が登壇したトークの様子をお届けする。(聞き手:岐阜新聞映画部 後藤/文・写真:涼夏)

 

後藤
「井上監督には去年『花腐し』という映画で荒井晴彦監督に来ていただいた時にも実は来ていただいていました。岐阜にはもう何度も来ていただいているんですよね?」

井上淳一監督(以後 井上監督)
「僕は愛知県犬山市出身で、実家があるので、宿泊費がかからず来られます」

後藤
「井浦さんも岐阜にはよく来られているとか」

井浦新さん(以後 井浦さん)
「よくではないですが、好きな場所がいっぱいあるので、仕事でも個人的にも来る場所です」

後藤
「『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』にタイトルはなっています。1作目を白石和彌監督が撮られてその続きとして井上監督がご自身の視点から若松孝二監督のその後、シネマスコーレの成り立ちがわかりますし、若者達の姿を捉えた情熱のこもった作品ですね。井浦さんはこの映画のオファーは早い段階で受けていたんですか?」

井上監督
「やろうと思ったのが2022年の5月で、2022年の12月に撮影していますから、通常のことから考えたらそんなに早くはないと思います」

後藤
「若松監督と井浦さんの関係はファンの皆さんもよくご存知だと思いますが、改めて教えてください」

井浦さん
「僕にとって恩師です。若松孝二監督の2008年の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』から遺作となった『千年の愉楽』まで5作品、ずっと晩年は声をかけてくださって、映画作りにも参加させてもらって、俳優だけてはなくて、映画作り自体をまるっと教えてもらってきた感じです。映画だけではなくて、一緒にお酒を飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったりとか、「鍋あるから、今日若松プロ来いよ」と誘ってもらったり。本当にずっと背中で示してくださった大切な恩師です」

後藤
「若松監督の生前の姿は映像では見たことがありますが、 井浦さんがなりきって演じられていたように思います」

井浦さん
「うーん。なりきってというか……これ、何なんですかね。僕、まだわかっていないんですよ。自分が若松監督を演じているのか、憑依なのか、ただの芝居なのか。ただの芝居といえば芝居なんですが」

井上監督
「よく芋生悠さんや杉田雷麟くんが言っているのは、 東出さんはずっとスタンバイしている時から木全さんになっているけど、新さんはずっと新さんで、本番になった瞬間に若松さんになると」

井浦さん
「まあ違い過ぎますからね(笑)」

井上監督
「だけど1作目の時は、若松さんを演って、家に帰った時にぐったりしたって言っていたじゃないですか。あまりにもエネルギー量が違って。今回は割とそんなこともなく行けたんじゃないですか?」

井浦さん
「ホテルに帰ってぶっ倒れていましたよ。それは変わらずです。それぐらい若松監督は本当に野生の熊のような方なんです。どこからそんなエネルギーが出てくるのか。きっと観てくださったからなんとなく感じられると思うんですが、いわゆる昭和の豪傑というか、なんでしょうね、疲れているような姿とか見たことないですし。特に映画作りをしている時はテンションが上がっているので全体も見ていますが、1点しか見ていないこともあって。俳優部だけでなく技術部や制作部まで、現場の全部が見えてしまうが故の理不尽さで突き進むこともありますし、こんなに人を深く愛せるのかというぐらい愛情が深かったりもしますし。ちょっと自分のような凡人にはやっぱりどうしても井上少年が「うわ、若松孝二だ!」となるのと同じ感じになります。「うわ、こんな人いるんだ」みたいな。本当に赤塚不二夫さんの漫画のキャラクターなんです。だから師匠ではありますが、『止められるか、俺たちを』シリーズで若松監督を演じてくれというのは結構きついことで。明らかに自分が憧れていた人だし、なりたくてもなれないといつも思っていた人ではあるので、やっぱり演じるとなるとどうしても自分ではいられないところはあるので。 ただ、僕が演っている若松監督は全然若松監督じゃないので、若松監督にお会いしたことがあるという方がいらっしゃったら、きっと全然違うとわかると思うんですが」


井上監督
「それが特に2作目に関しては若松さんを知っているプロの映画監督たちや若松さんの仲間たちが、「新、本当に若松さんになっちゃったね」と言っている人がたくさんいるんです」

井浦さん
「やばいですよね、やばい(笑)。僕のこの芝居を観た印象で、若松監督が塗り替えられていっちゃうのがすごい怖いんです」

井上監督
「完全に歴史を改ざんしていますよね(笑)。だからSNSを見ると「新さんの若松さん大好き!」と書かれていて、みんなそれで若松さんを好きになっていますよね、絶対」

井浦さん
「それで騙せているんだったらいいんです。みんな若松監督のことを大好きになってしまえと思うんですけど。いや、本当に本当に素敵なので。自分自身はいつもやっぱり全然足りていないと悔しい思いでやっています」

後藤
「この映画のエピソードでも、井上さんの初監督作品として河合塾の作品を撮るというものなのに、現場では結局若松さんがどんどん自分が監督でもないのに前に出てきていましたが、あれは実話なんですか?」

井上監督
「本当です。ただ、現実はもうちょっと粛々と自分で撮っていました。最初から「カットをかけるのが早い」と本当に怒られていたんですが、もう3日目ぐらいから通常モードで、普通に監督として撮影していました」

後藤
「助監督になられて、現場に入って色々監督に怒られるじゃないですか。オーライオーライって言って、車ぶつけたりとか」

井上監督
「それ若松さんじゃなくても怒ります(笑)」

後藤
「ああいう飛び蹴りが入るみたいな感じだったんですかね」

井上監督
「そうなんです。本番中に、新さんが「井上!」と杉田雷麟くんを怒る時に、僕が「はい」と返事しましたから。 それぐらい変な現場だったんです」

井浦さん
「本当に変な現場でした。監督が2人いる感じです」

後藤
「井浦さんが演じられた若松さんを観て、僕は若松さんはあんな感じだったんだと思っていました」

井浦さん
「本当は全然違うんですが、間とか、井上少年を勢いで潰しにかかっていく感覚とか、本当にモードに入っちゃった時の畳みかけ方とか、そういうところはずっと一緒にいたので、この『止められるか、俺たちを』のシリーズで、若松監督のことを記録していきたいなという思いがあり、全部僕自身の体を使って演じました。細かいところは自分の中にある若松監督の様々な思い出や出来事とか、自分しか見たことのない姿、自分だけに言ってくれた言葉とか、そういったものは、もしかしたらどんどん忘れてしまうかもしれないですし、僕にとってはとにかく出せるところがあったらどんどん出していこう、映画の中に全部記録していこうという作業としての『止められるか、俺たちを』シリーズだったりします」

後藤
「若松監督との最初の出会いはどういう感じだったんですか?」

井浦さん
「1番最初は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、若松プロに電話したんです。東京にポレポレ東中野という映画館がありますが、そこへ映画を観に行ったら「若松孝二に連赤を撮らせたい、カンパ求める」という、今でいういわゆるクラウドファンディングのチラシがあったんです。連合赤軍にも若松孝二監督にも、70年代にも僕はとても興味を持っていたので、 これはちょっととんでもないことが起きる、俳優の仕事をやっているならば、この作品に絶対参加しないと後悔すると思って。電話番号が書いてあったので電話したら、映画の中にもありましたが、1人しかいないから若松監督ご本人が出るんです。僕はそんなことはその時は知りません。 当時僕はアルファベットのARATAという名前で活動していました。「アルファベットでARATAと言うんです」と話したら「はあ?」みたいな感じで怒られて、「よくわかんねえな」みたいな感じで言われて。その電話越しの若松監督が、若松監督の初体験でした。 すごい勢いで、「君のことなんか全然知らないから、ちょっと助監督さんたちに話しておくから、2日後に電話してきなさい」と言われて、ガチャっと電話を切られました。2日後に電話したら、「オーディションをやるから来なさい」と言われて。オーディションなんだな、頑張るぞと思って行ったら、俳優たちが60人ぐらい集められていて、その場でいきなり何人かの役が発表されていきました。僕も「君は坂口弘」ともう役が決められていました。でも発表されない人たちもいまして、その人たちのオーディションが始まって。僕らは決まっているので、オーディションを見ている人になってしまい、ちょっととんでもないところに来ちゃったなという感じでした」

後藤
「後々、アルファベットから漢字名に変えられましたが、これは理由があるんですか?」

井浦さん
「三島由紀夫さんの映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を若松監督が撮るとなった時にも、「僕はこの作品で日本の心というものを描きたいと思うんだ」とずっと撮影中に話をしてくれていて。エンドクレジットで僕の名前がアルファベットでARATAと1番最初に出てきてしまうので、それはいけないなと思って。監督に「この作品をもって、本名の井浦新にしてもいいですか?」と言ったら「バカやろう。井浦新なんて言ったら、誰が主演やっているかわからなくて、お客さん来ねえじゃねえか」と怒られました。「すいません」と言ったら「でも、そういう気持ちは俺は大好きだからいいぞ」と言ってくれました。映画の初号試写が始まってとうとう井浦新と初めて出るんだと思ってエンドロールにドキドキしていたら、 井浦新と出てきたんですがエンディングの曲が英語の曲で「あれ?日本の心はどうしたんだ。監督」と思って「なぜこの曲にしたんですか?」と聞いたら、 「これタダで使わせてくれるって言ったんだよね」「ああ、あー…」と(笑)。 さすがだなと思いましたね。このエピソードも、完全にこの映画と地続きじゃないですか。無茶苦茶なんです、ほんとに(笑)。若松監督はまだ13年前までいらしたわけで」

井上監督
「いましたね」

井浦さん
「70年代も80年代も90年代も。そう考えると、若松監督のような無茶苦茶な人たち、赤塚不二夫さんとか、無茶苦茶な人たちに対してまだ世の中に許容があるというか、すごいおおらかで、そういう破天荒な人がいても許される時代って、ちょっといいなと思いますよね」

後藤
「井上監督は、若松監督の『水のないプール』を見て衝撃を受けられたんですか?」

井上監督
「僕は映画で語られている通りなので語ることはないんですが、岐阜がらみで言うと、あの頃はこんな風に地方に映画監督は絶対来なかったんですよ。覚えているのは、高校三年の時に岐阜PARCOで石井聰互監督の『シャッフル』という30分の短編を上映した時に監督が来ると聞いて、授業終わりでそのまま岐阜に来て、石井監督に「僕、監督になりたいんです」と言ったんです。そういう時でしたから僕はこのチャンスを逃しちゃいけないと思って、若松監督の時は本当に新幹線に乗りましたからね。映画の中でも新幹線に飛び乗りますが実話なんです」

後藤
「いや、本当にいい話ですよね」

井上監督
「ちなみにその『シャッフル』に『福田村事件』の森達也監督がずっと犯人を追いかけていく刑事役で出ています」

井浦さん
「映画ってやっぱり夢があっていいですね。井上監督は結局そこで森さんをスクリーンを通して観ていて」

井上監督
「何十年後に『福田村事件』を一緒にやっているという。だから森さんと仕事している間中、岐阜PARCOに観に来たなと思っていましたからね。この人をスクリーンで観たんだと。もちろんその時は森達也という役者、森達也として認識はしてないんですよ。本人に聞くまでは同じ人とも思っていなかったんですけど」

後藤
「その『シャッフル』の上映を岐阜パルコで開催したメンバーの中には今回録音を担当された臼井勝さんもいらしたそうで」

井上監督
「臼井さんだけではなくて、田中要次さんもスタッフで。田中要次さんにも今回父親役でワンシーン出ていただいています。全部繋がっているんですよ。だけど30年経って自分の話を映画でやるなんて思わないじゃないですか。僕、みんな助監督って「オーライ、オーライ」とやって、ガシャと車をぶつけるもんだと思っていたら、あんまいないんですよね」
 
井浦さん
「いや、だから井上さんもだいぶ漫画の世界の人なんですよね(笑)。あの井上少年から見た若松監督は夢のような、本当にスターのような人なんですよね。井上さんはいつの間にか漫画のような人の分野に属してしまっていたんですね」

井上監督
「良かったんですか。全然良くない感じで言いましたね?(笑)」

井浦さん
「全然いいじゃないですか。物を作る人はそのぐらいでいてください」

井上監督
「「そうか」って納得していいものかどうか(笑)」

観客から
「豊川市で新幹線の中のシーンを撮影されたと伺ったんですが、豊川で召し上がったものや、新幹線の中での撮影のエピソードがあれば教えてください」

井上監督 
「あの新幹線の中のシーンがクランクアップだったんです。最後の砂丘のシーンは浜松の中田島砂丘で撮影しています。1回浜松まで行って砂丘で撮影して、豊川に戻って、 おいしい何かを食べたかと言うと、全く食べませんでした。豊川はバームクーヘンとバラが有名なんですよね。バームクーヘンをいっぱいお土産でいただきました」

井浦さん
「バラいただきました。でもバームクーヘン、僕はもらってないです(笑)」

井上監督
「ちょっと新さんが花に気を取られている間に、僕たちが食べちゃったんですかね(笑)」

井浦さん
「撮影に使用したのは新幹線の初期型、一番最初の新幹線なんです」

井上監督
「豊川市の日本車両という新幹線の車両を作っている会社に保管されているんです」

井浦さん
「今まで作ってきた1台、1車両だけを保存していて、それを使わせてもらいました。なので、昔の新幹線の中がそのまま描けていたのが嬉しくて。そっちに気を取られていました」

井上監督
「ロケハンに行く時に普通に車両展示なのに、ヘルメットをちゃんと着用するすごい厳しいところだったんですけどね」

井浦さん
「豊川での最高の思い出が出来ていて、新幹線車両シーンの撮影が終わったら、この作品全部のオールアップだったんですが、30分後に新幹線が来て、それに乗ったら東京にいち早く帰れるという情報が入ってきて、もう終わった瞬間に着替えて支度して、お疲れ様の余韻とかもなく、雷麟くんと何人かで新幹線に飛び乗って、東京駅に着いて「終わったの?これ」と感じるという本当に不思議な感じでした。豊川で最高の新幹線のシーンが撮れたという思い出がありますが、バームクーヘンだけちょっと後悔しています(笑)」

観客から 
「三重県の四日市から来ました。三重県で撮影とか監督をされたりして、ここよかったという場所があったら教えてください」

井上監督
「母親が桑名市出身なので、桑名おすすめです。それと三重県は本当にミニシアターがないんですが、伊勢に進富座というすごくいいミニシアターがあって、『青春ジャック』の上映でも行っています。 普通ミニシアターは人口30万人の都市じゃないと成り立たないと言われているんですが、伊勢で2スクリーンで頑張っている映画館なので、ぜひそこに行っていただきたいです」

井浦さん
「進富座はこの後上映する『東京カウボーイ』も上映してくださったりとか、出演作を上映してくださる映画館で、地域密着型の本当に素敵な映画館なのですごく好きで、あとは尾鷲が好きで思い出深いです。若松監督とも一緒に行っていて、『千年の愉楽』は尾鷲でほとんど撮っている作品だったりします。尾鷲には映画館がないので、完成して一番最初の上映は尾鷲でかけたいと思い、監督はその時亡くなってしまっていたので、僕が映画を持って尾鷲に戻って上映して、2000部ぐらいサインを書いて、右腕が腱鞘炎になったという思い出があります。和歌山との県境の辺り、熊野地方は歴史も文化も独特ですし深いです」

観客から
「岐阜のおすすめ、いいなと思うところ教えてください」

井浦さん
「教えたくないな(笑)。僕は岐阜の円空仏があるところは全部行きました。円空が生まれた場所が関市の方で、そこから日本全国に広がっている円空仏を全部見ていけるように旅を続けています。下呂温泉は大好きですし。 きっとそれだけのトークをしに来るだけでも1時間以上は話せると思うんです。あとは養老天命反転地が大好きで何度も行っています。あとCINEXですね。こうやって劇場通りという通りまであって、上には舞台があって映画館があって、下はイベントができるスペースがある。そういう文化施設がまちにあるのはすごい貴重だなと思います。素敵なアーケードの商店街があって、その中にCINEXがあるというのは、この地域の大事な文化施設だと思うので、皆さんもこの映画だけではなく、他の映画も観にCINEXに足を運んでくださったら、皆さんの恋人、子供も孫の世代までずっと続いていくと思います。いろんな知らなかったこと、行ったことのない地域のこととか、いろんな世界を観せてくれて、学校では教えてくれないことを教えてくれるのは、映画館で観る映画だったりもしますから。 ここを守っていくのは、CINEXの人たちだけではなくて、皆さんが映画を観に来ること、楽しむことで、孫の世代まで続けていけるということになると思うので、ぜひ岐阜の宝CINEXで映画を観続けてください」

後藤
「では最後に一言お願いいたします」

井上監督
「お知らせですが、7月13日からシネマスコーレでもう1回『青春ジャック』と『止められるか俺たちを』が2週間上映されます。シネマスコーレで観ると4D体験になるので、ぜひ観てください。この映画のこともですが、映画でも最後に若松さんも言っていますが、全国にいいミニシアターがたくさんあるので、『青春ジャック』ともども全国のミニシアター、シネマスコーレ、 CINEX、ロイヤル劇場、復活した名古屋キネマノイをよろしくお願いします」

井浦さん
「この映画は映画と映画館の物語です。この映画を観た後だから、こういう言葉が伝わったらいいなと思うんですが、僕も本当に映画に育てられて、学校に行きたくてもなんかちょっと行ける気分じゃなくなった時とかに、家にも帰れないし、でも映画館は開いていて、暗闇の中に逃げるように映画を観に行ったりとかして。 でももし映画館がなかったら自分はどうなっていたんだろうと思ったりする時もあるんです。映画館はすごく幸せな空気が流れている場所です。ここにいる皆さんにはそれぞれの人生があって、皆さんがハッピーであったら、それは最高で嬉しいんですが、 そうじゃない時だってあると思います。映画館はどんな人でも受け入れてくれる場所です。時として、2時間だけでも現実を忘れさせてくれたり、夢を観させてくれたりする、本当に素敵な場所だと思うんです。僕はそんな映画に自分自身が今携われていることを本当に嬉しく思いますし、こうやって参加した作品を皆さんに届けられること、こうやって皆さんから感想を聞いて、直接ディスカッションさせてもらえることは本当にありがたいことだと思っています。今日この場を作ってくださった岐阜新聞映画部の皆さん、本当にありがとうございました。
今日CINEXに映画を観に来てくださった皆様、他の映画館でも観てくださっている皆様、ありがとうございました。今日この後上映する『東京カウボーイ』は7月にもCINEXで上映されるということですので、 ぜひご覧になってください」

©若松プロダクション

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