岐阜新聞 映画部

クロストーク

第1回アートサロン
『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』上映&トークイベント

岐阜新聞映画部 部長

後藤栄司

岐阜県美術館 学芸員

松岡未紗

後藤栄司(ごとう・えいじ)

岐阜新聞映画部 部長。岐阜市に生まれ、地元・岐阜新聞社に入社。柳ヶ瀬商店街の映画館シネックスとのコラボで映画部を立ち上げる。本業は岐阜新聞社東京支社長兼営業部長。「映画館で映画を観ること」がモットー。

松岡未紗(まつおか・みさ)

岐阜県美術館 学芸員。2012年4月より現職。担当は西洋美術、専門は修復保存。

岐阜新聞映画部が発足して今年で3年目。映画を通してアートを身近に感じて欲しいとの思いから、新企画「岐阜新聞映画部アートサロン」がスタート。記念すべき第1回は、松岡未紗さんをナビゲーターに迎え『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』上映&トークイベントが2月25日、岐阜CINEXで開催された。ヒエロニムス・ボスはダリなど多くの画家に影響を与えた天才画家でありながら、生年月日も分からず、現存する作品は25点のみという謎に満ちた人物。そんな彼の最高傑作にして、決定的な解釈がなされていない難解かつ魅惑の作品「快楽の園」(スペイン・プラド美術館所蔵)は、“天国と地獄”が所狭しと描かれた奇想天外な世界を表現している。ボスはいったい誰のために、何のために描いたのか?

 

後藤:岐阜の映画館では美術系の映画を上映すると結構動員があるんですね。美術に対する関心が高い地域だと思っています。今回の映画はボスの没後500年でプラド美術館が協力して作られたそうですが、500年以上前の作品なのに色彩がすごくきれいなまま保存されているということが分かりますよね。ボスの作品は相当修復されているんでしょうか。

松岡:あの時代のもので修復されていない作品は恐らく無いと思います。ボスがいつの時代を生きていたかというと、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じ時代。日本で言うと室町時代あたりです。

修復はカルテをもって

後藤:松岡さんは岐阜県美術館で修復の仕事をされています。館長の日比野克彦さんが80年代の作品に使用していたのが段ボールだったんです。日比野さんの代表作「SWEATY JACKET」はスタジャンを段ボールで作ったもので修復が大変なんです、と以前松岡さんから伺いました。わずか30数年の作品でも段ボールですから、湿気で型崩れしたりして当時の形と違ってきてしまう。

松岡:「SWEATY JACKET」は82年に作られたもので、段ボールという新しい素材で作られていますので、この素材がこれからどのように変化していくか未知数なんです。それを取り換えることもできず、どこまで作家のオリジナルを残すのか、どのように保管しながら見せていくかが世界中の美術館で話題になっているのですが、ある意味素材というのは進化していくものです。ボスの時代は油絵が誕生した時代で、現代の油絵の成分とは違うものだったわけです。映画の中でも「配合が秘伝なの」という話が出ていました。ある程度は分かっていると思いますが、いろいろな実例を見ながら「こういう方法がいいんじゃないか」と確立していくので、30年しか経っていない作品となるとこれから私たちはどうしていこうかと悩むところですね。

後藤:松岡さんのお仕事を以前見させてもらったんですが、冷蔵庫のような部屋に作品が保管されていて、そこでお医者さんみたいに手袋をして、緻密にチェックしながらカルテのようなものを作っているんです。日比野さん自身はあの当時、その辺にあったのりやテープで留めて作ってるんですが、松岡さんは「どこのメーカーの何を使ったか」を細かく聞かないといけないんですよね。

松岡:日比野さんに会うたびに聞くので、「その話、またするの?これは取り調べでしょうか?」と言われましたね(笑)。現代の作品だけでなく、例えばオディロン・ルドンの作品は19世紀のものもありますから、そういう作品にも全てカルテを作っていきます。生きている作家さんには直接聞けるので、生の情報がどれだけありがたいかというのを実感しています。映画では画像解析をしているラボがありましたが、その調査結果などから考えて保存方法を決めていくわけです。

後藤:ボスの作品は世界で30数点ほどしか残っていないそうですが。

松岡:10数年前の書籍だと「世界に30数点残っている」と書かれているんですが、解析技術が進んだ今ではさらに絞られて、少しずつ減っているそうです。

後藤:と言うと、30数点のうちのいくつかはボスのものではないということですか。

松岡:そうですね。あるいは、後から作られた複製品とか。人気の作家なので、人気の題材は同じように描かれているんです。いま実際に真作と言えるのは20数点というところです。

後藤:ルネサンス時代ですから、誰かに依頼されて描かれていると思います。「快楽の園」は宗教に対しては保守的に描かれていますが、皮肉が込められているような作品は消えてしまっているということでしょうか。

松岡:そうですね。ボスが生きた時代の後に宗教革命が起こります。その時に偶像崇拝が禁じられますから、宗教が原因で消えてしまった作品もあると思います。ですから、こうして残っているのは貴重だと思います。いろんな人の中で争奪戦が繰り広げられて、現在はプラド美術館所蔵となったわけです。今でもちゃんと残っているので、作品の中ではいい運命をたどったと言えますね。

後藤:三面の扉もあの時代のものなんでしょうか。

松岡:そこまでは映像だけでは分かりませんが、あの三連の祭壇画という形状が当時たくさん作られているので、その形を保っているのはいい状態だと言えますね。分解されて各地に分散されている祭壇画もあるんです。もっと多翼の祭壇画もあったはずですが、それも分割されてしまっているんです。

後藤:500年経っていますから、いろんな歴史に揉まれていますね。だとすると、やはりこの状態で今も見られるというのは貴重なんですね。

松岡:この映画でもいろんな立場の方が、何が描かれているか、何を感じたかを話していますが、分析や修復をされている方々は作品と対話しているというか。作品の分析調査によって、どのように描かれたかをデータとして蓄積して、他の作品との類似点などをデータベース化しながら、作家の思想や手癖などを客観性を持って調べていこうとしているんです。新しい切り口が始まったことによって、今までの美術史や哲学、歴史学などに頼られたものにプラスアルファして説得力を持たせている、推測から一歩抜け出せるようになってきているのではないかと思います。

後藤:解析の技術が向上することで、作家が見せたくないと思っているものまで見えてきてしまっているわけですね。

松岡:この映画の中でも赤外線解析が出てきて、分かりやすく下描きが見えると説明されていましたが、実はもっといろんなものが映っています。ボスは弟子と一緒に描いていたとも言われていますが、この作家が非常に丁寧に仕事を進めている感じが見えるんです。もっとその部分見せてくれないかなあと思いながら映画を観ていました。当時の絵具は厚塗りができないので、細い面相筆で描いたと言われていました。油絵と同時期にあったテンペラもそうなんですが、本当に細い線を重ねて絵の色の深さや立体感を出すという描き方なんですね。絵が上書きされて描かれているシーンもありましたが、そこを拡大して映している時もうっすらとタッチが見えたりするんです。重ねた部分が厚くならないように丁寧に下地処理がされていて、壁画を作っているんですが、その場所によってプロセスを変えて丁寧に作っているんだろうなと思って観ていました。

後藤:画材のタッチとかだけで年代も分かったりするんでしょうか。

松岡:それだけでは分からないですね。いろんな情報から年代が分かってくるんですが、ボスの場合生まれた年も不明ですし、情報の少ない作家、謎の作家と言われてきました。この絵も木のパネルに描かれているので、木の年輪学から「いつ伐採されたか」というところで何年より前のものではないと言われていますが、いろんな解析ができるようになって、やっと年代が特定できたようです。

後藤:では、ボスの中でもこの「快楽の園」というのは代表作なんですね。あの当時映画も無かったですから、この絵の前で1時間以上は見ていられるなと。見る人によって思うことが違うのは、人生のいろんなものが詰まっているからなんでしょうか。ホラー映画のような要素もありますし、生きていく力をもらえるような気もします。

松岡:そうですね。映画の中ではスポットが当たっていなかったのですが、三連祭壇画という形状上、冒頭の言葉で見る順番が違ったと言われていました。閉じられたものが開かれてみると、そこに絵のストーリーがある。閉じている時に白と黒のグリザイユ画法の地球が描かれています。あれが当時の人々が抱いている世界観です。上の方に白と黒の雲があって、地球は1つに繋がっている。この頃マゼランは世界一周を成し遂げていませんから、平面の地球が広がってるものを開けるとカラーになって出てくる。そして、左から順に物語が進んでいく。日本でいうところのお寺で小さい頃に絵を見ながら「悪いことはしちゃいけないよ」って教えられる地獄絵みたいな感じですよね。

後藤:でも内容は極めて自由ですね。あの自由度は半端ないので、ルネサンス恐るべしって感じです。

松岡:これだけ印象的な絵なので日本にも早い時代、大正時代には紹介されていましたし、少なからずいま私たちが知っている日本人たちの画家や文学でも紹介されています。いま岐阜県美術館では円空大賞展を開催中ですが、その中の佐藤昌宏さんの作品はボスの要素や仏教の要素があるものを描いていますね。

夢中になって近寄ってしまうと…

松岡:一度プラド美術館にボスの絵を見に行きたいですね。近寄って見すぎると怒られてしまうかもしれませんが。

後藤:松岡さんのように作品の修復をしていると、展示から返ってきた作品に見た人の唾がついていることも分かるそうですね。

松岡:夢中になると意識なく近寄って見てしまうそうなんです。それは大人から子供まで年齢に関係ないそうで、私も何度警備員さんに止められたか(笑)。その時は分からないんですけど、数年経つと触ってしまった人の指紋が浮き出てくるんですよ。

 

トークイベントの終盤には質問コーナーが設けられ、知識の深い観客からの質問からいろんな意見交換がされた。今後もさまざまな切り口で企画が開催されることを楽しみにしたい。

 

文:涼夏

岐阜市生まれ岐阜市育ち。司会や歌、少し芝居経験も。テレビや映画が大好きでラジオでの映画紹介、舞台挨拶の司会も始める。岐阜発エンタメサイト「Cafe Mirage( http://cafemirage.net/ )」で映画紹介、イベントレポート執筆中。

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