岐阜新聞 映画部

クロストーク

第15回CINEX映画塾
『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』上映&トークショー

映画監督

佐古忠彦

佐古忠彦(さこ・ただひこ)

TBSの記者・キャスター。「NEWS23」キャスターや「Nスタ」ニュースキャスターなどを担当する。近年では、「戦後70年 千の証言スペシャル 戦後写真が語る沖縄戦・隠された真実」(2015)、報道の魂SP「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか」(2016)など。

第15回CINEX映画塾『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』上映&トークショーが12月9日、岐阜CINEXで開催された。ゲストの佐古忠彦監督は、長年取材で訪れた沖縄やそこで出会った瀬長亀次郎に対する思いを、NEWS23で共演した筑紫哲也さんの言葉を交えながら語った。(聞き手は後藤栄司岐阜新聞社東京支社長)

佐古:この映画は8月12日に沖縄で先行公開をして、そのあと東京で上映が始まりました。公開から3カ月ほど経っているんですが、昨日渋谷のユーロスペースでの上映が終了しました。3か月も上映していただいて、そしてやっとこの岐阜の地に来ることができました。私は今、このカメジローとともに全国を旅しております。一人でも多くの方に見ていただきたくて、今日は岐阜にお邪魔しました。岐阜には各務原には数年前に取材で来たことがありますが、岐阜市自体は四半世紀ぶりです。四半世紀前のことを思い出しながら、トークショーまでの時間を待っていました。

後藤:ユーロスペースだけで1万人、全国で60カ所以上の上映がされていて、5万人突破されているそうですね。

佐古:岐阜CINEXで33カ所目か34カ所目です。できるだけ行けるところには行っていますが、今日から岐阜と横浜で公開がスタートしていて、両方は行けないのでまず岐阜から伺いました。劇場の方とお客様と直接お話ができるという、テレビの映像を作っている時とは違う経験をさせていただいています。

後藤:亀次郎を取り上げるきっかけは何だったんですか?

佐古:私は3月までテレビに出てニュースを伝えたり、解説をしたりという立場でした。
中でも一番多く通った場所の一つが沖縄だったんです。沖縄のニュースを伝える中で、沖縄の全体像を伝えられてないんじゃないかというもどかしい思いがありました。辺野古の映像が出てくると「また沖縄が反対している」という、ある一面的な部分だけを見た批判の声があったり、「温度差」だとか「溝」だとか言われたりする。なぜそういう状態が続いたのかと考えたら、戦後史への認識が抜け落ちているのではないかと思ったんですね。20年以上沖縄に行っている間にこの亀次郎さんの存在を知って、その生きざまがものすごくまっすぐな人で、沖縄の人々にかなり鮮烈な記憶を残している人ということもあって、いつか向き合いたいとずっと思っていました。戦後史へアプローチするにあたって、この人を通して歴史を見ると見え方が違ってくるんじゃないかと考えました。目の前でよく取材してきた県民大会や、作品で見ていただいた裁判所の前の集会とか、こういう光景はどこから来るのかとたどってみると亀次郎さんの時代に行きついたんです。過去と今をどう結んでいけるだろうかということを作品のテーマの中に置いていたんですけれども、亀次郎さんを通すことで問題の核心に近づいて行きました。

後藤:はじめはテレビのドキュメンタリーとしてオンエアされたものなんですよね。

佐古:昨年8月にオンエアしました。取材スタートから1年でのオンエアで、そのときは49分だったんです。ドキュメンタリーというのは夜の深い時間にやっているので、さびしいことになかなか感想が来ないんですね。でも、亀次郎さんをオンエアした時は驚くほどの反響があったんです。その時に、お金を払って見にきてもらえる場に出せばまた広がるんじゃないかと思って、企画書を書いてうちのテレビ局(TBS)の映画部門に持ち込んだのが映画になるきっかけでした。追加取材をして、映画版は107分になりました。

後藤:初監督作品になったわけですね。違いはありますか?

佐古:私はテレビに出る立場ではありましたが、一方でものを作るということも私の仕事の一つでその延長線上に亀次郎があったんです。ものをつくるとテレビだとディレクター、
映画だと監督と呼ばれて、なんだか畏れ多いんですが作るということの作業においては映画でもテレビでも ディレクターとしてものを作るということでは変わらないんです。

後藤:若い方にも見ていただきたい作品だと感じました。亀次郎と佐藤首相のやりとりも爽快でした。

佐古:一つひとつが昔話のようで全然そんなことはなくて。歴史を見れば今が見える。歴史には今の在り様が全部含まれている。権力がひとりの男を追い落としていくのをどのように行ったかとか。兵糧攻めは亀次郎を追い落とすための手段に使われましたが、色々な時代でありますよね。また、亀次郎さんと佐藤首相のやり取りを見て、今の国会や政治の姿はどうだろうかということも考えます。亀次郎さんも総理も民意を抱えていて。お互いの主張を認めながらも真摯に答えようとしている姿があって、それが新鮮だなぁと思いながら編集しました。

後藤:沖縄上映の反響はいかがでしたか?

佐古:亀次郎愛があって、それぞれに色々な思いを持ってお帰りになられるんです。感想が作る側が想定していることと違うことで反応していただけたりするんです。歴史とか沖縄の話についてもそうですが、「会社の中で僕はこんな不屈な生き方はできていないので、これから頑張っていこうと思います。」と感想をいただけて、いろんな感じ方があるんだなあと。お越しいただいた方々に作品を育てていただいている感じがしましたね。

知らない人から見たカメジロー

佐古:沖縄でも40代半ばから下の世代になると、名前は知っているけれど亀次郎が何をした人かわからないという人が多くて。「あ、これがあったから今があるんですね。やっと分かりました。作ってくれてありがとうございます。」と言われました。知っている方からは「もう一度亀次郎さんに会えた。ありがとう。」と。本土に来ると「なぜ沖縄の方が声を上げるのかがわかりました。過去と今が繋がりました。」と感想が返ってきました。ニュースは瞬間だけを切り取って伝えているんです。そうすると、なぜそうなったかわからない。必ず本当は理由があるんです。この作品でそれを分かっていただけた。それは、若い世代も上の世代も共通しています。それだけ知られていない歴史があるんです。

後藤:亀次郎さんはとても影響力があった方ですね。

佐古:右とか左とかそういう観点から見たらどこかに位置付けられてしまうのかもしれませんが、そういう観点では決められない言葉を亀次郎さんは言われています。民族であるとか領土の防衛とか。民族というのはどういう意味なのかと亀次郎さんの娘さんの千尋さんに聞くと、あれは沖縄民族ではなく日本民族のことを父は話していたんだと。我々は日本人だ。だから日本に帰る。元いた場所に帰るのに何の不思議がある。日本人として日本に帰るんだと。亀次郎さんの行動や発言を見ると右とか左とか越えた存在なんです。だからこんなに沖縄で今も愛され今も求められているんだと。よく基地か経済かを選挙の争点として言われることがありますが、その先に求めていることは一緒なんです。目の前のことを求めているか
、先のことを求めているかの違いだけなんです。だから、本土的な考え方で沖縄を見てしまうのは間違いじゃないかと思いますね。

筑紫哲也さんの言葉

佐古:戦争のことは割と伝わっている部分があります。しかし、戦後から今までの間が知られていないんですね。1972年に沖縄が復帰しましたという言葉は教科書にもありますが、 その間が書かれていない。10年間番組でご一緒した筑紫哲也さんの言葉を思い出すんです。
「沖縄に行くと日本が見える。この国の矛盾が詰まってるんだ。」と。亀次郎さんの疑問と筑紫さんがぽろっと言ったこととつながるところがあって。「沖縄も占領されているが、本当に日本はアメリカから独立できているのか。」と亀次郎さんは言っていまして、筑紫さんは「独立国家に外国の軍隊がなぜいるのかなぁ。」と言ったんです。主権を回復することが決まったタイミングで安保条約が結ばれて、アメリカの軍隊が駐留することになったんですが、その多くの部分を背負ってきたのが沖縄なんですね。亀次郎も筑紫さんも感じた一つの矛盾が沖縄にはあります。

佐古:私たちはどのように歩んできたのかをもう一度考えるべきだと思います。見落としていたことがあるんじゃないかと。世界のさまざまな環境がある中で、まずは私たちのこれからの有り様を、道を考える。そういうきっかけにこの作品がなればいいなと思っています。

文:涼夏

岐阜市生まれ岐阜市育ち。司会や歌、少し芝居経験も。テレビや映画が大好きでラジオでの映画紹介、舞台挨拶の司会も始める。岐阜発エンタメサイト「Cafe Mirage( http://cafemirage.net/ )」で映画紹介、イベントレポート執筆中。

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