岐阜新聞 映画部

クロストーク

第4回CINEX映画塾
『あかね雲』『瀬戸内少年野球団』上映&トークショー

映画監督

篠田正浩

共同通信社編集委員

立花珠樹

篠田正浩(しのだ・まさひろ)

1931年、岐阜県岐阜市生まれ。
1960年代前半、大島渚監督らとともに日本のヌーヴェルヴァーグを先導。
独立プロ「表現社」を設立。妻で同志の女優岩下志麻さんとともに「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」など、映画史に輝く傑作を発表。
娯楽とアートの両面を兼ね備えた、独特の映像美に満ちた作品で知られる。

 

立花珠樹(たちばな・たまき)

1949年、福岡県北九州市生まれ。一橋大卒。74年共同通信社に入社。ニューヨーク支局、文化部などで映画を担当する。篠田正浩さんはじめ岩下志麻さん、三國連太郎さん、若尾文子さん、香川京子さん、新藤兼人さんら映画人のロングインタビューや、名画の楽しい見方を紹介する映画コラムなどを執筆。
 著書に『若尾文子〝宿命の女〟なればこそ』(ワイズ出版)、『岩下志麻という人生』(共同通信社)、『新藤兼人 私の十本』(同)、『女と男の名作シネマ』(言視舎)、『「あのころ」の日本映画がみたい!』(彩流社)など。

岐阜市出身の映画監督・篠田正浩さんを招いた第4回CINEX映画塾が岐阜CINEX(岐阜市日ノ出町)で開催された。聞き手の立花珠樹共同通信社編集委員とともに登壇した篠田監督は、上映作品と岐阜との繋がりや、自身の体験が映画作りに大きく影響しているエピソードを披露してくれた。

立花:『あかね雲』の思い出はありますか?

篠田:『あかね雲』の脚本は内田吐夢監督の『宮本武蔵』(全5部作)でも脚本を書いた鈴木尚之さん(故人)。鈴木さんに初めて会った時「久しぶりですね」と言われて、全然面識がないと思っていた私は「どこかで会ってるんですか?」と尋ねた。すると、「加納の岐阜二中(現加納高校)出身で、俺はあんたの1年先輩だよ」って言われたんだよ(笑)当時は学徒動員もあって、なかなか学校で顔を合わせることはなかったけど、僕は陸上競技で一番速かったから目立ってたらしくて、鈴木さんから「僕はあなたのことをずっと知ってたよ」って言われたのを覚えているね。ちなみに、『あかね雲』のタイトル文字は私のいとこの書家の篠田桃紅さんが書いたんですよ。

立花:『あかね雲』は、松竹の大スターだった女優の岩下志麻さんと結婚された直後の作品です。岩下さんの美しさが際立っていますね。

篠田:これは岩下さんに限ったことではないけれど、映画を撮っていて、女優さんが綺麗かどうかっていうのはあんまり考えたことがない。その役の心を持っているかどうかが大事だね。

立花:結婚前後で監督と俳優の関係が変わることはありますか?

篠田:僕は現場では「岩下さん」って呼んでいた。「おい、志麻」なんて呼んだら、お茶持ってきちゃうからね(笑)結婚生活が50年続いたのは、ずっと赤の他人だったからです(笑)

立花:『瀬戸内少年野球団』はぜひ岐阜で上映したいとうかがいましたが?

篠田:私が中学3年の時に、日本は戦争で負けました。焼け野原のなかで、松栄堂楽器から聞こえてきた「ムーンライト・セレナーデ」にものすごく惹かれた。この音楽を聴いた時に、日本が戦争に負けたというより、この音楽を生み出した国に負けたという気がした。僕らは軍歌しか知らなかった。焼け野原でグレン・ミラー楽団を聞いたというのは、私が味わった敗戦体験です。『瀬戸内少年野球団』を観てもらえれば、すぐにわかっていただけると思います。

立花:『瀬戸内少年野球団』に出演した俳優・女優さんとのエピソードはありますか?

篠田:駒子先生を演じる人には、清純かつ、女性としての魅力もなければいけない。そのことを考えた時に、夏目雅子さん(故人)しかいないと思った。本作がデビュー作だった渡辺謙さんは、オーディションで最後の2人から選んだ。オーディションの時のセリフは硬かったが、逆にそこが良いと思って選んだ。彼が初めて画面に映った時はスタッフからどよめきが起こったよ。これは大物になるという予感がしたんだね。

立花:篠田監督はこれまでの作品で新人を起用することが多いですが、それにはあるエピソードがあるんですよね。

篠田:私が早稲田大学1年生の時に、箱根駅伝に出場しました。秋から始まった練習で、チームで14番目のタイムだった私は、補欠の選手としてペースランナーを務めていたんですが、練習を重ねるうちに力がついてきて最終的に2区を走ることになったんです。私を抜擢した理由を監督に聞いたら「新人には未知の可能性がある」って言ってくれたんです。「篠田とチーム10番目のベテラン選手のタイム差は1分。1分の差は試合になったら無いものと同じだ。ベテランは完走しないと他のメンバーに申し訳ないと思うから、オーバーペースでは走らない。1区は順位に大きく影響する重要な区間で、他の選手との駆け引きも大変。篠田は400メートルの出身で、そういう怖さも知らないし、篠田にチャンスを与えれば2分も3分も早くなる可能性は十分にある。このまま7,8位で終わるくらいなら、その可能性に賭ける」と。実際のレースでは5位で走り出して、3位でつなぐことができた。この経験があるから、新人の可能性を引き出そうと起用しているんです。

ページトップへ戻る