岐阜新聞 映画部

クロストーク

第17回CINEX映画塾
『ソナチネ』上映&トークショー

岐阜新聞映画部 部長

後藤栄司

撮影監督

柳島克己

後藤栄司(ごとう・えいじ)

岐阜新聞映画部 部長。岐阜市に生まれ、地元・岐阜新聞社に入社。柳ヶ瀬商店街の映画館シネックスとのコラボで映画部を立ち上げる。本業は岐阜新聞社東京支社長兼営業部長。「映画館で映画を観ること」がモットー。

柳島克己(やなぎじま・かつみ)

1950年、岐阜県高山市出身。写真学校を卒業後、72年に三船プロダクションに契約社員として入社。82年からフリーの助手となり、87年に映画としては初めて撮影を担当する。主な担当作品は北野武『3-4×10月』『あの夏、いちばん静かな海』『ソナチネ』『キッズ・リターン』『座頭市』『アウトレイジ 最終章』ほか16作品担当。柄本明『空がこんなに青いわけがない』、深作欣二『バトル・ロワイヤル』、行定勲『GO』、滝田洋二郎『阿修羅城の瞳』、西川美和『ディア・ドクター』『夢売るふたり』、西谷弘『真夏の方程式』、森隆義『聖の青春』などがある。2011年から18年まで東京芸術大学大学院映画専攻科教授。

17CINEX映画塾『ソナチネ』上映&トークショーが5月12日、柳ケ瀬商店街のロイヤル劇場で開催された。ロイヤル劇場では「昭和シネマ名作劇場」と題して、料金500円でさまざまな作品をフィルム上映している。今回は北野武監督の『ソナチネ』上映に合わせて、北野武監督作品のほとんどで撮影監督を務める柳島克己さんをゲストに迎えて、上映後にトークショーを行った。

後藤:柳島さんは岐阜の高山ご出身なんですよね。

柳島:今は合併して高山市になっていますが、高山駅から車で10キロほどの清見というところの出身です。高校時代までそこで過ごして東京に出ました。

後藤:『ソナチネ』をご覧になるのは久しぶりですか?

柳島:公開以来、このような形で映画館で観るのは初めてです。こんな大きなスクリーンでフィルム上映ができる映画館はなかなか無いですよね。

後藤:そうなんです。300人ぐらい入りますが、今日も足かけ約50年のベテラン映写技師の橋本さんが上映してくださっています。

きっかけはアルバイト

後藤:柳島さんはさまざまな監督の作品で撮影監督をされていますが、どうして映画撮影の仕事を始められたんでしょうか?

柳島:もともと写真の方のカメラマンになりたくて専門学校に通ったんですが、写真をやるって思っていた以上にすごくお金が掛かるんです。何種類ものレンズを用意したり、新しいカメラをもう一台欲しいとか。それで何かアルバイトをしようと思った時に、友達に撮影助手をしないかと声をかけられたんです。映画のことは何も知らなかったんですが、三船敏郎さんが社長の三船プロダクションで契約社員として始めました。それがきっかけで三船プロに10年いました。

後藤:では、その頃から映画の世界に入られたんですね。

柳島:そうですね。ただ、その頃三船プロは映画製作はほとんどやっていなくて、テレビドラマの製作をメインにしていました。三船敏郎さん主演の『荒野の素浪人』とか『大江戸捜査網』とか時代劇が多くて、映画をやり始めたのは後半ですね。ですが、三船プロダクションには映画製作をしていたスタッフがたくさんいました。黒澤組のカメラマン、照明の方とか稲垣浩監督の作品のカメラマンなど、巨匠と呼ばれた監督と働いていた方達に師事していました。

後藤:あの頃から35ミリフィルムだったんですか?

柳島:あの当時のTVドラマは16ミリフィルムで撮っていました。その後フリーの撮影助手になり、色々な映画作品に付いていて、角川映画なども7、8本やっています。『里見八犬伝』とか『探偵物語』の頃ですね。

デビューはあぶ刑事

後藤:デビュー作は何だったんでしょうか?

柳島:劇場映画で言えば『cfガール』ですが、カメラマンデビューはテレビドラマです。「あぶない刑事」シリーズなんです。あのドラマもフィルムで撮っています。劇場映画版は村川透監督が撮った3作目(『もっともあぶない刑事』)の撮影をしています。

北野組の撮影スタイル

後藤:北野組に参加するきっかけは何だったんでしょうか?

柳島:北野監督は自分のスタンスを1作目(『その男、凶暴につき』)の時に主張されて。基本的に初めて映画を撮る監督の場合はベテランのスタッフがつくんですが、監督的に色々あったみたいで。2作目(『3-4×10月』)からは色々と意向を聞いてもらえる人を、ということで、私にオファーが来たみたいです。北野組は武さんのテレビのお仕事もあって半年間ほどの拘束期間になります。

後藤:半年も。どうして半年なんでしょうか?

柳島:武さんの場合、映画の準備が始まると、出演しているそれぞれのテレビのレギュラー番組をその週に2週分の収録して、次の1週間は映画週となります。なので、映画の撮影が1週間おきになるんです。『ソナチネ』の場合は10日おきに撮影していました。撮影は主に石垣島でしていたんですが、あの頃は石垣島に直通便がなくて沖縄経由で行くしかなかったので、移動だけで片道で1日取られました。1週間だと5日しか撮影できないので10日おきだったんだと思います。

後藤:撮影はどんな感じで進むんでしょうか。よく北野組ではやり直しがないと聞きますが。

柳島:北野監督はお笑いもやられています。お笑いって予定調和ではない。映画は本番をやり直せるけど舞台みたいにやり直しがきかないという違いを映画に活かそうというスタンスにあるようで、時にはセリフも決まってなかったりしますし、テストしてすぐ本番になります。本番は余程のことがなければ1発OKになります。俳優やこちら側が多少ミスしたとしてもOKになってしまうので、現場での本番の緊張感がすごいんです。

後藤:セリフが決まってないということは、現場で決めたこともあるんですね。

柳島:当時は、台本にそのシーン内容が書かれているだけで、細かいセリフのやり取りは書かれていませんでした。現場で監督がアドリブのように作っていく事が多かったです。シーンも急遽作られることも多かったです。紙相撲の設定はもともとあったんですが、砂浜でこんぶを土俵にした実際の相撲はあの場で考えたシーンでコマ落とし(低速度撮影のこと。スピード感ある映像になる)にすることも監督にあの場で言われました。実は、海の側の隠れ家は牧場の中にブルドーザーで道を作って建てたセットなんです。撮影現場では牛が来たりもするので、カメラの後ろでスタッフが追い払ったりしてます。そういえば、あんなにきれいな海があるのに監督は役者を誰一人海に入れなかったですね。感覚がやっぱり違うんですよ。

後藤:柳島さんが監督に提案したところは映画にありますか?

柳島:花火での撃ち合いのシーンでは自分のアイデアです。実際に自分達が旅行した時にやったことが面白かったので提案して採用されました。

キタノブルーはどの作品から?

後藤:いわゆるキタノブルーが出てきたのは『ソナチネ』からなんでしょうか。『キッズ・リターン』からなんでしょうか?

柳島:監督がブルーのトーンがいいと言っていたのは『あの夏、いちばん静かな海。』なんです。ラストシーンで晴天のシーンの予定が雨になって。それでも撮影をしましたが、青い傘の色が顔に反射して当たっているところのブルーの色がいいねと言っていたんです。撮影も終わりがけだったので、この作品では特には出なくて。『ソナチネ』の時は、まだ部分的にブルーの色調は出ていますが、キタノブルーが出るのは『ソナチネ』以降の『キッズ・リターン』からになっていきますね。

なぜ『HANA-BI』は撮影監督が違ったのか

後藤:『HANA-BI』の撮影監督が柳島さんじゃなかったのはなぜですか?

柳島:以前から海外で映像の勉強がしたいと思っていて、当時の年齢が文化庁の海外研修制度に申し込める最後の年だったので応募したんです。通らなかったら『HANA-BI』も撮ろうと思っていたんですが、その海外研修制度の応募が通ったので、オファーはいただいたんですがお断りして1年間イギリスに研修に行きました。代わりに、アシスタントだった山本英夫を推薦したんです。

後藤:でもまた柳島さんに戻ったんですよね。

柳島:山本君は三池崇史監督と組み始めた頃で、イギリスから帰って来た時に私はある監督と撮影をする予定でしたが、彼が三池さんとやりたいと言ったので、また僕に戻ったわけです。でもこんなに長くご一緒できるとは思っていませんでした。

距離を置いた方が色々言える

後藤:監督とはプライベートでも交流はありますか?

柳島:プライベートではあまりありません。たまにゴルフに誘われることはありますが、他はほとんどないです。僕は俳優さんや監督とは距離を置くスタンスです。距離があった方がやりやすいし、色々と言いやすい。撮影現場では監督の意向に基本的には従います。でも、この方がいいなと思う時は話をします。でも最終的な判断をするのは監督です。今はデジタルカメラでの撮影だと現場でモニターを見ながらチェックもできますが、あの当時のフィルム撮影ではそれはできなかった。『ソナチネ』に関しては東京に戻って現像してチェックするまで分からないので、撮影した映像が監督のイメージに合うように現場で話し合いをしていました。

からだが動くうちは現場で

後藤:北野監督だからこその何かってありますか?

柳島:編集も北野監督がするのですが、この頃は普通の方の編集の感覚とは違っていました。北野監督の編集のカッティングの間は独特です。今は「18本撮ってるし俺も勉強したんだよ」って言っておられるように最近は変化して来ていますが、今でも撮影現場では北野監督は感覚が鋭くて常人が考えないことを発想されるので、ついて行くのが大変です。僕らの仕事はそれらを映像化するという、ある種の職人的要素が必要で、感覚的だけでは撮れない部分もある。それをどう表現するかという話はよくします。

後藤:柳島さんはつい最近も中国やモンゴルで撮影されていますが、今後の作品を教えてください。

柳島:武さんやアッバス・キアロスタミ監督に影響を受けている中国の監督からオファーをもらいまして、内モンゴルに撮影に行って来ました。次回作はチャン・イーモウ監督の編集を担当している方が映画監督デビューされるので、その撮影の準備中です。中国は撮影のセットの規模がすごいです。中には、野外のオープンセットの中に電車が走っていたりします。紫禁城の等倍スケールや大きな建物がある撮影所がいくつもあります。3月まで東京芸術大学で教鞭をとっていましたが、それがなくなったので現場を中心にと思っています。

 

会場には『ソナチネ』をリアルタイムで観た方から、初めて映画館で観たという若い方まで、幅広い年代の人が詰めかけた。名作に欠かせない撮影監督と、名作を上映し続ける映写技師。職人たちあってこその映画界だと思えるトークショーとなった。

 

文:涼夏

岐阜市生まれ岐阜市育ち。司会や歌、少し芝居経験も。テレビや映画が大好きでラジオでの映画紹介、舞台挨拶の司会も始める。岐阜発エンタメサイト「Cafe Mirage( http://cafemirage.net/ )」で映画紹介、イベントレポート執筆中。

 

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