岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

theater somewhere

子供に夢を与えたいという思いから始まった映画館

2020年10月28日

別府ブルーバード劇場(大分県)

【住所】大分県別府市北浜1-2-12
【電話】0977-21-1192
【座席】80席

 国内有数の温泉地として名高い大分県別府市を訪れたのは今から9年前の残暑が厳しい9月だった。小倉から特急で1時間半ほど。豊前松江を過ぎたあたりから車窓にキラキラと輝く紺碧の瀬戸内海が広がる。別府駅を降りると駅前に満面の笑みを浮かべ両手を挙げた油屋熊八郎(別府観光の生みの親と言われている)の像が出迎えてくれる。駅に着いたのは夕方過ぎで、別府湾に向かって伸びる駅前通りをぶらぶら歩く。かつて、この通りは大手直営館を含む5館の映画館が軒を連ねた映画通りで、最盛期には多くの人で賑わっていたという。

 駅から5分程のところに、戦後間もない昭和24年創業の「別府ブルーバード劇場」がある。当時は日本映画が主流だったが、ディズニー初の長編カラーアニメ『白雪姫』をこけら落としに、欧州映画を中心に上映されていた。興行の経験が無かった先代が「子供に夢を与えたい…」という思いから設立して、地元の小学生から公募した「青い鳥」という館名でスタートした。それから間もなく『黒水仙』や『無防備都市』などの欧州映画が次々と公開されると、地元の高校生から館名は横文字の方がカッコイイのでは?と言われて「ブルーバード」に変えたというエピソードがある。

 石原裕次郎人気で勢いのあった日活映画を専門に上映するようになると、夜中の3時から4時までやっていたナイトショー興行でも列が途切れることなく、駅前に達するほどの行列が毎日できていたと、二代目館長を務める岡村照さんは振り返る。日本映画が斜陽期を迎え日活がポルノ映画へ路線変更した時には、一度は興行から手を引いたものの、どうしても映画館を続けたいと岡村さんは喫茶店だった2階を映画館に改装して二代目として、亡くなられたご主人と共に映画館経営を引き継いだ。アイデアマンだったご主人は喫茶店のイスとテーブルをそのまま活用。コーヒーと軽食を楽しみながら映画を観られるカフェスタイルの映画館として注目を集めた。

 昭和50年に松竹の封切館として再びリニューアルすると、別府でロケを行った『男はつらいよ 旅も嵐も寅次郎』が、オープン以来最高の興行成績を記録。「全国の映画館主を招待したパーティーで表彰をされたのが何よりも嬉しかった。作品さえ良ければウチみたいな小さな劇場でもお客さんは入ると証明されたのですから」と岡村さんは振り返る。そして、岡村さんが映写機の操作を覚えたのはこの頃。当時の映写技師がよく遅刻する人で上映時間が遅れる事が多かったので、いっそのこと自分でやってしまおうと映写を一から学ぶ。最初の頃はフィルムが切れたりと冷や汗の連続だったそうだ。そんな昔ながらのレトロな雰囲気を気に入った阪本順治監督は『顔』のロケ地として映画館を使われて、岡村さんもエキストラで出演されている。現在は、多くの映画人に愛され、数多くの舞台挨拶や映画祭など様々なイベントが開催されている。

 平成11年から邦画・洋画を問わず単館系作品から名作まで幅広いジャンルの作品を扱うようになった。雨の平日にはお客様が一人しかいない時もあるが、岡村さんはどんな時でも喜んで映写機を回しているという。そんな状況を見かねたお客様から心配されて映画館を閉めないで…と声を掛けてもらう事もしばしば。「そんなに儲からんでも経営さえギリギリやっていける程度のお客さんさえ来てくれたらそれで良いんです」と、笑顔で語る岡村さんは、先代が遺した映画という文化の灯を絶やさぬよう、街の小さな映画館を今も守り続けている。


出典:映画館専門サイト「港町キネマ通り」
取材:2011年9月
※入口に昔のポスターを飾るのも岡村さんのご主人のアイデア

別府ブルーバード劇場のホームページはこちら
http://www.beppu-bluebird.info/

語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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語り手:大屋尚浩

平成12年から始めた映画館専門サイト「港町キネマ通り」にて全国の映画館を紹介している。自ら現地に赴き、取材から制作まで全て単独で行う傍ら、平行して日本映画専門サイト「日本映画劇場」も運営する。

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