岐阜新聞 映画部

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寂聴さんの "素" が見える奇跡のドキュメンタリー

2022年07月11日

瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと

©︎2022「瀬戸内寂聴 99 年生きて思うこと」製作委員会

【出演】瀬戸内寂聴
【監督】中村裕

随筆にさりげなく女を忍ばせた熱き恋文

瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)は、1922(大正11)年5月15日、徳島県徳島市に、仏壇店=瀬戸内商店を営む家の次女として生まれた。幼少期は体が弱く、本を読むことが好きな文学少女として成長した。

1943(昭和18)年、見合い結婚し、翌年には長女を出産している。

終戦後、夫の教え子であった文学青年と恋に落ち、夫に告白したうえで家を出る。その時、「小説を書くため」という理由づけをする。そこには世間の視線を不倫という行為から逸らす意味もあったが、それは自身に課す命題という意味でもあった。

1948(昭和23)年、京都での新生活に不倫相手は同行せず、出版社に勤めながら小説を書き始めた。

1950(昭和25)年、正式な離婚が成立し、本格的な小説家を目指して上京し、三谷晴美(三谷は父親の旧姓)のペンネームで少女小説の投稿をはじめる。その後、雑誌「ひまわり」で入選するなどして、頭角をあらわすようになり、他に童話なども書いた。

小説家としての本格的なデビューは、1956(昭和31)年、「文学者」に発表した「痛い靴」で、翌年には "新潮同人雑誌賞" を受賞した。受賞第1作として発表した「花芯」がポルノ小説と批判され、批評家からは ”子宮作家" とレッテルを貼られた。

『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』は、この女流作家の晩年に17年間に渡り密着し、素顔を見つめたドキュメンタリーである。

瀬戸内晴美が世間を驚かせたのは、1973(昭和48)年の突然の出家だろう。映画でもその時の映像が流れ、出家に至る経緯も、本人の口からも語られる。

監督の中村裕は、テレビの取材で瀬戸内寂聴に初めてカメラを向ける。名古屋の御園座、車から降り立つ寂聴さんは、当時、80歳を超えているのに凛とした佇まいで、その歩みは颯爽としている。その存在感に押された監督は、レストランで大ジョッキのビールを呑む豪快な姿を撮り損ねてしまう。

精力的に各地に出向く寂聴さんは尼僧として法衣を纏っている。映画では住まいでもある "寂庵" での日常が描かれる。可愛い普段着、豪快な食生活、時に感情を露わに泣き崩れる。驚くべき距離感から生まれた奇跡の様な瞬間に出会える。

語り手:覗き見猫

映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。

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語り手:覗き見猫

映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。

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