岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

Meet somewhere

存在のない少年たちの刹那的な生の暴発

2019年10月12日

タロウのバカ

©2019映画「タロウのバカ」製作委員会

【出演】YOSHI、菅田将暉、仲野太賀、奥野瑛太、豊田エリー、植田紗々、國村隼
【監督・脚本・編集】大森立嗣

そこにある世界には変えるだけの値打があるか

 いきなりで申し訳ないが、個人的にはこの映画が嫌いである。お金を払って映画を観ることに何かを期待するならば、この作品は著しく不向きである。共感や感動で涙したり、幸せな気分に誘ってくれる、おもてなしのような要素は皆無である。映画にそんな事は期待していないという奇特な方もいるだろうし、作家の提示する問題に真剣に向き合い格闘する方もいるだろうから、これは余計なお世話かも知れない。

 何かに苛ついて、喚き立てる男がいる。まだ若いから、チンピラとか半グレと想像できる。同行するのはそれには不釣り合いな中年を過ぎた男。老いの中に微かに威厳が残る。しかし、粗暴な若い男の振る舞いを咎めるわけでもなく、そこには諦念が感じ取れる。たどり着いたのは廃屋にも見える施設で、その1室は障害者であふれていた。チンピラの役目はそこで起きたトラブルの後始末だった。

 タロウ(YOSHI)と呼ばれる少年がいる。痩せた風貌、かすれて裏返る声からは、声変わり間もない幼さが感じられる。タロウにはエージ(菅田将暉)とスギオ(仲野太賀)というふたりの高校生の仲間がいる。3人は街の空き地や河川敷を疾走する。一見、自由奔放に見えるが、何かしらの悩みやトラブルを抱え、それが鬱屈したかたちで暴力として噴出する。そこには道徳的な躊躇はない、衝動的で剥き出しの野生は犯罪にエスカレートする。 

 3人の家族との接点も描かれ、それぞれの孤独が暗示される。エージは柔道部で挫折を味わい兄との確執がある。スギオの父親は息子の素行を気にかけ手を差し伸べる。タロウには若い母親がいるが、彼女はタロウの出生届を出すこともなく、戸籍も存在せず、学校にも通ったことがない。名前もない何者でもないタロウの存在が強調される。

 この映画には救いのない死のイメージが付き纏う。監督の大森立嗣が5歳の時に見たという父・麿赤兒の"暗黒舞踏”の死の匂い…やりきれない生=命の提示は刹那的で、あまりに切な過ぎる。

語り手:覗き見猫

映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。

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語り手:覗き見猫

映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。

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