岐阜新聞 映画部

いま、どこかで出会える作品たち

Meet somewhere

幼少時の記憶の中の故郷を描く

2019年06月18日

ROMA ローマ

【出演】ヤリッツァ・アパリシオ、 マリーナ・デ・タビラ
【監督・脚本】アルフォンソ・キュアロン

白黒のシャープな画面から浮き上がるもの

 冒頭、クレジットタイトルが無音の中で流れていく背景の固定画面が美しい。映画の進行に連れて、メキシコシティ中心部に暮らす裕福な医者の一家のマンションの車庫に続く床を、家政婦が水を流してモップで履いている場面と分かる。その床と水に映った空や屋上を固定ショットで延々と映す。流れている水の表面には空を横切る飛行機が映る。この部分は後でCGにより合成したらしいが、凝った映像だ。時代は1970年代初頭。監督は当時10歳くらいか?ただし、映画はこの子供の眼だけで物語が進行するわけではなく、複数の視点で語られる。一番印象が強いのは、田舎から出稼ぎで上京したこの家の家政婦の話だ。次いで夫の浮気に悩む母親の視点、それに子供時代の回顧も描かれる。

 監督のアルフォンソ・キュアロンは『ゼロ・グラビティ』、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』などが代表作だが、20年以上のキャリアの中で長編は10本に満たない寡作な監督だ。今回、Netflix(ネットフリックス)の製作で小生もパソコン画面で見たのだが、今年のアカデミー監督賞などの受賞により日本でも劇場公開となった。撮影と脚本も兼ね、まさにプライベートフィルムと言える。

 そうした個人的な記憶がなぜ万人の心を打つ作品に仕上がるのか。子供心には当時の家政婦の苦しみなど一切分からなかっただろう。両親の心情さえも。50年近く経ってみて初めてどういう時代だったのか分かることもある。当時の右派と左派の小競り合いや警察、軍隊の行進などが背景に織り込まれる。父親が運転する大きなアメ車は無口な父親の象徴だ。

 後半のある事件からこの映画の主役は家政婦なのだが、フェリーニの『フェリーニのアマルコルド』、ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』のように、巨匠が自伝的作品を作ったと言われるような後世に残る傑作だ。  

語り手:シネマトグラフ

外資系資産運用会社に勤務。古今東西の新旧名画を追いかけている。トリュフォー、リヴェット、ロメールなどのフランス映画が好み。日本映画では溝口と成瀬。タイムスリップして彼らの消失したフィルムを全て見たい。

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語り手:シネマトグラフ

外資系資産運用会社に勤務。古今東西の新旧名画を追いかけている。トリュフォー、リヴェット、ロメールなどのフランス映画が好み。日本映画では溝口と成瀬。タイムスリップして彼らの消失したフィルムを全て見たい。

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