岐阜新聞 映画部

映画にまつわるエトセトラ

Rare film pickup

昨年の夏、柳ヶ瀬を盛り上げた須藤蓮 アイル ビー バック

2023年10月27日

須藤蓮セレクト35ミリフィルム上映第1弾『青春残酷物語』

©1960松竹株式会社

むかしむかし

1970年代の終わり頃の話。地元(愛知県岡崎市)には、勿論まだシネコンはなくて、邦画、洋画の封切館から、ピンク映画の専門館まで、10以上の映画館が存在した。

そのひとつ、普段は、邦画、洋画の新作を交互に上映している一館で、オールナイトの特別興行があった。

その告知のチラシを見たのは、名鉄東岡崎駅近くにあった喫茶店だった。主催したのは、地方都市には珍しい、アングラ劇団を招聘したりしり、自らも演劇の公演をするサークルのような組織だった。記憶は定かではないが、映画の興行は初めての試みだったのではなかったか?

プログラムは『大島渚 監督作品特集』で、3本立ての上映会だった。

『青春残酷物語』はその時観た。10代の映画小僧には敷居の高い、大島渚監督作品スクリーン初体験。

現在、岐阜新聞映画部で始めたプロジェクト「ロイヤル劇場 思いやるプロジェクト」をご存知でしょうか?

柳ヶ瀬にあるロイヤル劇場は、全国でも唯一無二のフィルム上映を常設で続けている映画館です。

デジタル方式での上映が当たり前になっている現在、映画の原点でもあるフィルムを守ることは、ある種、絶滅危惧種の存続に他ならないのですが、アナログならではの "味"を形あるものとして存在させることの意味を、幻想ではなく使命として捉え、貴重な映画館=小屋(こや)を守ろうとするのが今回のプロジェクトの主旨であります。

映写機の維持、万が一に備える為の資金の捻出、この意義に賛同いただく、皆さんのご支援をクラウドファンディングで形にする。

その関連企画として、始まったのが、「ロイヤル劇場思いやるプロジェクトー須藤蓮セレクト35ミリフィルム上映」で、その第1弾に選ばれたのが、『青春残酷物語』です。

『青春残酷物語』

大島渚と言えば、テレビの討論番組で大声で他を圧する剛腕の猛者という印象が、一定の年代にはあるかも知れないが、映画ファンにとっては、日本映画の歴史に刻印された "松竹ヌーヴェルヴァーグ” の旗手という偶像が存在した。

映画が公開されたのは昭和35(1960)年。前年『愛と希望の街』で監督としてデビュー、その第2作目だった。

今で言うなら ”ハングレ“ の若者の生態。真琴(桑野みゆき)は夜遊びの後、帰りの足をまかなうために、男が運転する車を停めて、タクシーがわりに使う。男の下心も承知の上でスリルを楽しんでいるかのような行為。案の定、送り狼に遭遇、その窮地を救ったのが清(川津祐介)だった。

このカップルを取り巻く状況が、今ではタブー視されかねない要素がたっぷりとあり、その生態分析だけでも面白いが、社会派=大島は時代を憂う主張を忘れない。安保反対のデモや、最早、戦後ではないという新たな世代と戦中派との隔絶が盛り込まれ、これが妙に青臭かったりする。

まだ、新進の撮影(カメラ)だった川又昴の、シネスコ=ワイド画面をはみ出す構図が斬新で、色彩感覚も刺激的で素晴らしい。

少し、驚いたのは衣装=ファッションで、清はパイル織りのポロシャツを胸元を開けて着こなす。真琴の着たワンピースならぬドレスは、襟元やスカート裾のフリル、ラインが斬新で、この年頃にしてはやや贅沢過ぎるように見えるが、これも大島趣味の風俗的な先端思考が強調される。

この衣装を担当したのは森英恵で、オートクチュールデザイナーとして活躍する前の彼女は、映画の衣装担当、デザイナーとして400本近い映画に関わっている。

『青春残酷物語』はヒットして、大島渚の監督として地位を確かなものとしたが、当時の新聞広告のキャッチコピーには、激しい性描写を予感させる誘いが伺える。

松竹ヌーヴェルヴァーグはこの作品から始まった。

今回の上映フィルムプリントは素晴らしい状態です。是非、ロイヤル劇場へー”ロイヤル オモイヤル” !

語り手:覗き見猫

映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。

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語り手:覗き見猫

映画にはまって40数年。近頃、めっきり視力が衰えてきましたが、字幕を追う集中力はまだまだ大丈夫です。好きなジャンルは? 人間ドラマ…面白くない半端な回答…甘い青春映画も大好きです。

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